通称 |
〔通称〕
・田中 角栄(たなか かくえい)
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本名 |
〔本名〕
・田中 角栄(たなか かくえい)
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別名 |
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称号 |
〔称号〕
・陸軍上等兵
・西山町名誉町民
・一級建築士
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時代 |
〔時代〕
・大正時代~平成時代初期
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生誕 |
〔生誕〕1918年(大正7年)5月4日
〔生誕地〕新潟県刈羽郡二田村(現:柏崎市)
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死没 |
〔死没〕1993年(平成5年)12月16日)(75歳没)
〔没地〕東京都新宿区信濃町
〔墓所〕新潟県刈羽郡西山町
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国籍 |
日本国 |
言語 |
日本語 |
居住地 |
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学歴 |
〔学歴〕
・二田高等小学校卒業
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職業 |
〔職業〕
・日本の政治家
〔前職〕
・田中土建工業社長
・越後交通代表取締役社長・会長
・中央工学校校長
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分野 |
〔ジャンル〕
・日本の政治
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所属 |
〔所属政党〕
・日本進歩党
・民主党
・同志クラブ
・民主クラブ
・民主自由党
・自由党
・自由民主党
・無所属
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業績 |
〔国政〕
・衆議院議員(16期)
・郵政大臣(第12代)
・大蔵大臣(第67・68・69代)
・通商産業大臣(第33代)
・内閣総理大臣(第64・65代)
〔業績〕
・第一次オイルショックなどの政治課題に対応した。
・日本列島改造論による日本列島改造ブームを強力に進め、一世を風靡した。
・後にその政策は不動産投機に伴う地価の暴騰や狂乱物価と呼ばれるインフレーションを招いた。
・1972年(昭和47年)9月、総理就任2ヶ月後に、第二次世界大戦後、国交のなかった中国と初の首脳会談を実現させ、国交を樹立した。
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作品 |
〔著作〕
『私の履歴書』
『大臣日記』
『日本列島改造論』
『自伝 わたくしの少年時代』
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受賞歴 |
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名言 |
〔田中角栄の名言〕
(ウイキペディアより引用)
・三国峠をダイナマイトで吹っ飛ばせば越後に雪は降らない。そしてその土を日本海に運べば佐渡と陸続きになる。(初出馬時の演説)
・ナニ言ってんだ、ジイさん。あんたたちはもう子供が全部でき上がっているから、そんな極楽トンボでいられるんだ。学生を子に持つ日本中の親たちは、一体どうするんだ。自分たちの食うものも削って、倅や娘に仕送りしているんだ。ところが、学校はゲバ棒で埋まっている。先生は教壇に立てない。勉強する気の学生は試験も受けられん。こんなことで卒業できるのか。就職できるのか。みんな、真っ青になっているんだ。気の弱い学生は大学にも行けず、下宿でヒザを抱えているんだ。だから、いいからジイさん、早くベルを鳴らせ。やらなきゃ、このオレが許さんぞ。(大学管理法成立に際して参議院法会議開会を渋る重宗雄三議長に対して)
・政治は数であり、数は力、力は金だ。(数の論理)
・これからは東京から新潟へ出稼ぎに行く時代が来る。
・俺の目標は、年寄りも孫も一緒に、楽しく暮らせる世の中をつくることなんだ。
・中国国民全員が手ぬぐいを買えば8億本売れる。(日中国交正常化の際の発言)
・いままで政府が統一見解で述べておりますものは、自衛の正当な目的を達成する限度内の核兵器であれば、これを保有することが憲法に反するものではないというのが、従来政府がとってきたものでございます。(1973年3月17日参議院予算委員会での答弁)
・(日の丸・君が代が国旗・国歌として定着しているという認識を示した上で)、私はやはりある時期に、もうこの時期にでもいいと思いますが、国歌や国旗というものを明確にやっぱり国権の最高機関としての院の議決を得て法律として制定をすべきときが来ておると思います。そして制定をしたら、これは少なくとも、小中学校とか、国公立の学校においてこれを歌うということは当然でございます。(1974年3月14日参議院予算委員会での答弁)
・よっしゃよっしゃよっしゃ。(ロッキード事件の賄賂を受領した際に述べたとされる発言)
・跳ねた鯉が地面に落ちたら干物になるだけだ。魚の干物なら食うが、熊の干物は誰も見向きもしない。(中川一郎に『鯉は跳ねちゃいけませんか?』と、小派閥ながら自民党総裁選に出馬を決めたという報告を受けた際の返答)
・私は、かつて日本と朝鮮半島が合邦時代が長くございましたが、その後韓国その他の人々の意見を伺うときに、長い合邦の歴史の中で、いまでも民族の心の中に植えつけられておるものは、日本からノリの栽培を持ってきてわれわれに教えた、それから日本の教育制度、特に義務教育制度は今日でも守っていけるすばらしいものであるというように、今度のASEAN五か国訪問で、しみじみたる思いでございました。これはかっての台湾統治の中でも、そのようなほんとうに民族的に相結ばれる心の触れ合いというものが、いまでも高く評価をされておるという一事をもってしても言えるものでございます。(1974年1月24日衆議院本会議答弁で。この発言が日韓併合を正当化するものだと南北朝鮮から批判を受けた。)
・政治家は発言に、言っていい事/悪い事、言っていい人/悪い人、言っていい時/悪い時、に普段から気を配らなければならない。(伊藤惇夫が2013年6月19日TBS『ひるおび!』で政治家のブログ炎上に関して語った田中のエピソード)
・人間は、やっぱり出来損ないだ。みんな失敗もする。その出来損ないの人間そのままを愛せるかどうかなんだ。政治家を志す人間は、人を愛さなきゃダメだ。東大を出た頭のいい奴はみんな、あるべき姿を愛そうとするから、現実の人間を軽蔑してしまう。それが大衆軽視につながる。それではダメなんだ。そこの八百屋のおっちゃん、おばちゃん、その人たちをそのままで愛さなきゃならない。そこにしか政治はないんだ。政治の原点はそこにあるんだ。
・田中はなぜ倒れないか。人間、はだかになったことがないからびくびくするんだ。おれははだかになっているんだもの。(1983年10月13日、ロッキード裁判で有罪判決をうけた翌日の言葉)
・中曽根は象に乗っているのに、どうしてきつねやたぬきに乗り換えるのか。(1983年ごろ、ロッキード裁判の判決直後に中曽根康弘首相が福田や三木に接触していることを聞いて)
・物価とかね公害なんていうのは、大したこっちゃありませんよ。こりゃね、まぁ、雨漏りがするとか、雨戸が飛んだとか、下水が溢れるとかいう程度のもんだ。(1974年7月7日の参議院選挙へ向けた街頭演説)
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サイト |
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その他 |
新潟県の西山町には、田中角栄記念館があります。
ここには、西山町に生まれ育った元内閣総理大臣田中角栄氏の遺墨・遺品を中心に展示されている。日中国交の道を再び開いた偉業や生前の面影を偲ぶ事ができる。
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