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せから始まる世界の偉人

〔せ〕で始まる日本の偉人



 〔せ〕で始まる日本の偉人はそれほど多くはないが、次のような偉人がいる。

関孝和 世阿弥 清少納言 雪舟
千利休

 関孝和は江戸時代の和算家で筆算による代数の計算法を発明した。世界で最も早い時期に行列式や終結式の概念を提案したり円周率を11桁まで求めたことで知られる。


 関孝和は、天元術を深く研究し『発微算法』を著して筆算による代数の計算法を発明して和算を高等数学にまで発展させた。

 世界で最も早い時期に行列式や終結式の概念を提案したことや円周率を11桁まで求めたことで知られている。
 孝和は天才だったが、数式の表現方法に用いた漢字では、西洋風の記号による方法に及ばなかったのが残念である。

 清少納言は、平安時代の女流作家、歌人であり、随筆 『枕草子』 を創作した。


〔せ〕で始まる偉人概要 〔せ〕で始まる偉人概要の説明。
関孝和
 関孝和は、日本の江戸時代の数学者(和算家)である。関孝和の生誕地は上野国藤岡と江戸との2説があるがはっきりはしない。彼は若くして、吉田光由の『塵劫記』を独学し高度な数学を学び、甲斐国甲府藩の徳川綱重・綱豊(後の6代将軍徳川家宣)に仕えて勘定吟味役となる。

 関は和算が中国の模倣を超えて独自の発展をする上で重要な役割を果たした。特に天元術に根本的な改良を加えた。1674年、『発微算法』を著し点竄術(てんざんじゅつ)を考案した。点竄術は筆算による代数の計算法であり、和算が高等数学へと発展する基礎となった。世界に先駆けて、現代の高等数学である行列式や終結式の概念に到達している。

 関は暦の作成に必要な円周率を少数第11桁まで求めている。更に、ヤコブ・ベルヌーイがベルヌーイ数を発見する1年前にそれを発見している。方程式の求根のために現在でいう導関数や求積を行っていて、ニュートンやライプニッツよりも前の時代に微積分学の初期の概念に到達していたともいわれる。

世阿弥
 世阿弥は、日本の室町時代初期の大和猿楽結崎座の猿楽師である。父の観阿弥とともに猿楽(現在の能)を大成し多くの書を残した。この能は観世流として現代に受け継がれている。

 父親である観阿弥が31歳のとき世阿弥はは生まれ、幼少時より父の一座に出演しするようになる。1374年、彼が13歳のおり、観阿弥が今熊野で催した猿楽能に出演し、室町将軍足利義満の目にとまる。

 1384年、観阿弥が没すると世阿弥は観世太夫を継ぐ。義満が没し将軍が足利義持の代になっても、猿楽は深化する。ただ、義持は猿楽より田楽を好んだという。義持が没し足利義教の代になると、弾圧されるようになり、世阿弥は出家する。失意の中、1434年に佐渡国に流刑される。

清少納言
 清少納言は、平安時代の女流作家であり歌人である。随筆「枕草子」の作者として有名である。清少納言は、梨壺の五人の一にして著名歌人とされた清原元輔を父親とし、『古今和歌集』の代表的歌人である清原深養父を曽祖父に持って生まれた。

 清少納言は、中古三十六歌仙・女房三十六歌仙の一人に数えられ、家集『清少納言集』に42首が伝わっている。『後拾遺和歌集』以下、勅撰和歌集に15首入集している。

雪舟
 雪舟は、室町時代に活動した禅僧で水墨画家である。備中に生まれ、京都相国寺で修行した後、大内氏の庇護のもと周防に移る。その後、遣明船に同乗して明に渡り、李在より中国の画法を学んだとされる。

 そのため、現存する作品の多くは、中国風の水墨山水画である。とはいえ、肖像画も残っていて花鳥画の技術もあったとされる。国内各地を旅して写生に努め、日本独自の水墨画の技法を確立し、後世の日本画壇に大きな影響を残した。

 代表作には、『四季山水図(山水長巻)』『秋冬山水図』『天橋立図』『破墨山水図』『慧可断臂図』などがある。

千利休
 戦国時代から安土桃山時代にかけての商人・茶人。わび茶(草庵の茶)の完成者として知られ、茶聖とも呼ばれる。今井宗久・津田宗及と共に茶湯の天下三宗匠とされる。

 本能寺の変の後、豊臣秀吉に仕え重用される。3千石もの禄を賜り、茶人としての名声と権威を天下に示し、秀吉の政事にも影響をを与えるようになる。しかし、天正19年、秀吉の逆鱗に触れ、切腹して果てる。享年70歳だった。