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〔日本の偉人〕

〔ゆ〕で始まる日本の偉人

 

 〔ゆ〕で始まる日本の偉人には、湯川秀樹のような超有名な偉人もいるが、全体としてはとても少ない。

湯川秀樹 由井正雪


 湯川秀樹は、日本の理論物理学者である。彼は、原子核内部には、陽子と中性子を互いに結合させる強い相互作用の媒体となるべき素粒子があるはずだとし、中間子の存在を予言した。その後、その理論の正しさが証明され、1949年(昭和24年)に、日本人初のノーベル賞を受賞した。

 由井正雪は、世に言う〔慶安の変〕の首謀者として知られる、江戸時代前期における日本の軍学者である。

 17歳で江戸に奉公に出て、楠木正成の子孫とされる軍学者、楠木正辰の弟子となり、才をみこまれてその娘と結婚、軍学塾「張孔堂」を開く。


 慶安4年、第3代将軍徳川家光の死後、幕府政策への批判と浪人の救済を掲げ、槍術家丸橋忠弥などの浪人を集めて幕府転覆を計画したが、決起直前に計画を密告され、計画は失敗、由井正雪は自刃して果てる。

 大名取り潰しによる浪人の増加が社会不安につながったとされ、その後の幕府政治が武断政策から文治政策へと転換する切っ掛けとなった。



〔ゆ〕で始まる偉人概要

〔ゆ〕で始まる偉人概要の説明。

湯川秀樹

 湯川秀樹は、京都府京都市出身の日本の理論物理学者である。1935年に、原子核内部では、陽子や中性子を互いに結合させる強い相互作用の媒介となる中間子が存在すべきだと理論的に予言した。

 その後、1947年にイギリスの物理学者セシル・パウエルが、宇宙線の中からパイ中間子を発見し湯川の理論の正しさを証明した。これにより、1949年(昭和24年)湯川秀樹は、日本人初めてとなるノーベル賞を受賞した。当時の日本人は、この快挙に大興奮して喜んだのも記憶に新しい。

由井正雪

 由井正雪は、江戸時代前期の日本の軍学者である。由井正雪は17歳にして江戸の親類のもとに奉公へ出るが、楠木正成の子孫を称する軍学者の楠木正辰の弟子となり、その娘と結婚して婿養子となる。そして、神田連雀町で楠木正辰の南木流を継承した軍学塾「張孔堂」を開いた。

 慶安4年(1651年)、3代将軍徳川家光の死後、幕府政策への批判と浪人の救済を掲げ、宝蔵院流の槍術家丸橋忠弥ら浪人を集めて幕府転覆を計画する。決起直前に計画を密告され、正雪は自刃して果てた。世にいう〔慶安の変(由井正雪の乱)〕である。