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はから始まる世界の偉人

〔は〕で始まる日本の偉人



 古来より現代に至るまで日本にもかなりの〔は〕で始まる偉人がいて、彼らはそれぞれの分野で日本の文化の変革や歴史に影響を残した。

華岡青洲 原敬 長谷川町子 萩原朔太郎
浜田広介 林忠彦 林芙美子 濱口雄幸

 華岡青洲は、江戸時代の外科医で、世界で初めて全身麻酔を用いた手術(乳癌手術)を成功させたことで知られ、世界の医学の発展に大きく貢献した。


 花岡青洲は、手術の際に苦しむ患者の苦痛を和らげ、人名を救いたいと麻酔薬の開発を志します。幾多の研究の結果、曼陀羅華という植物の実や草烏頭(トリカブト)を主成分としたいくつかの薬草に麻酔作用を発見しました。

 動物実験の後に、人体実験を考えるも実現できずにいたところ、実母と妻とが実験台になると申し出て、母の死、妻の失明という大きな犠牲の上で、全身麻酔薬「通仙散」の開発に成功しました。

 長谷川町子は、日本初の女性プロ漫画家として知られ、そのユーモラスの中に温かみと楽しさ、時に涙を誘うその作品は、戦前戦後、そして現在まで、多くの子供たちや大人たちに夢を与え続けています。

 代表作に 『サザエさん』 『いじわるばあさん』 『エプロンおばさん』 などの漫画があり、現在でも多くのファンがいます。


〔は〕で始まる偉人概要 〔は〕で始まる偉人概要の説明。
華岡青洲
 華岡青洲は、宝暦10年(1760年)華岡直道の長男として紀伊国那賀郡名手荘西野山村で生まれた、江戸時代の外科医である。世界で初めて全身麻酔を用いた手術(乳癌手術)を成功させたことで知られている。

 彼は、手術の際に苦しむ患者の苦痛を和らげ、人名を救いたいと麻酔薬の開発を志した。そして、幾多の研究の結果、曼陀羅華という植物の実や草烏頭(トリカブト)を主成分としたいくつかの薬草に麻酔作用を発見する。

 動物実験の後に、人体実験を考えるも実現できずにいたところ、実母と妻とが実験台になると申し出て、母の死、妻の失明という大きな犠牲の上で、全身麻酔薬「通仙散」の開発に成功したのだった。

原敬
 原敬は、安政3年(1856年)現在の盛岡市本宮で盛岡藩士の次男として生まれた、日本の外交官であり政治家である。原敬は、後の時代には「平民宰相」と呼ばれ親しまれてきたが、原家は上級武士の家柄であった。

 郵便報知新聞記者を経て外務省に入省し、農商務省に移って陸奥宗光や井上馨からの信頼を得る。陸奥外務大臣時代には外務官僚として重用されるが、陸奥の死後には退官した。その後、政界入りし、外務次官、大阪毎日新聞社社長、立憲政友会幹事長、逓信大臣、衆議院議員、内務大臣、立憲政友会総裁、内閣総理大臣、司法大臣などを歴任した。爵位の受け取りを固辞し続けたため「平民宰相」と渾名された。

 大正10年(1921年)、東京駅丸の内南口コンコースで右翼青年に襲撃され暗殺された。満65歳だった。

長谷川町子
 長谷川町子は、大正9年(1920年)佐賀県小城郡東多久村で生まれた、日本初の女性プロ漫画家である。そのユーモラスの中に温かみと楽しさ、時に涙を誘うその作品は、戦前戦後、そして現在まで、多くの子供たちや大人たちに夢を与え続けている。

 代表作に『サザエさん』『いじわるばあさん』『エプロンおばさん』などの漫画がある。これらの漫画は昭和時代、平成時代を通して現在でも絶大な人気を博している。

萩原朔太郎
 萩原朔太郎は、明治19年(1886年)群馬県東群馬郡北曲輪町で生まれた、日本の詩人である。大正時代に近代詩の新しい地平を拓き「日本近代詩の父」と称される。

 幼少時代は、神経質で病弱な子で孤独を好み、学校ではひとり除け者にされていたという。明治33年(1900年)、旧制県立前橋中学校に入学し、従兄弟の萩原栄次に短歌手ほどきをうける。在学中に級友と共に『野守』という回覧雑誌を出して短歌を発表する。明治36年には、与謝野鉄幹主宰の『明星』に短歌三首掲載され、「新詩社」の同人となる。

 萩原朔太郎の主な詩集には、『月に吠える』『蝶を夢む』『青猫』『純情小曲集』『氷島』『定本青猫』『宿命』などがある。

浜田広介
 浜田広介は、明治26年(1893年)山形県東置賜郡高畠町の農家に生まれた、日本の童話作家である。日本児童文芸家協会初代理事長を務めた。また、坪田譲治、小川未明とともに児童文学界の三種の神器と呼ばれた。

 彼は、米沢中学を経て早稲田大学英文科を卒業しているが、大学入学の年に、『萬朝報』の懸賞小説に投稿し、短編小説『零落』が入選した。そして、これ以降何作かの小説を著した。また、大正13年(1917年)には、『黄金の稲束』が大阪朝日新聞の懸賞新作お伽話一等に入選し、それ以降、コドモ社の児童雑誌『良友』から童話を発表するようになり、本格的に童話作家を目指すようになる。

 代表作に『泣いた赤鬼』『椋鳥の夢』『竜の目の涙』などがあり、現在でも幼稚園などの卒業遊戯に演じられることが多い。

林忠彦
 林忠彦は、大正7年(1918年)山口県で出生した日本の写真家である。木村伊兵衛、土門拳、渡辺義雄などと並ぶ昭和を代表する写真家の一人とされ、終戦後の日本の風俗や風景など多くの写真を残した。また、多くの文士の写真も残している。

 銀座のバー「ルパン」で坂口安吾や太宰治らと知り合いになり、彼らの酒場での姿や仕事場での風景を撮った写真が有名である。晩年には癌のために半身不随となりながらも東海道の風景写真を撮り続けた。平成3年に、郷里の徳山市(現・周南市)と徳山市文化振興財団により「林忠彦賞」が創設されている。

林芙美子
 林芙美子は、明治36年(1903年)門司市小森江で生まれた、日本の小説家である。幼少時代は貧しい育ちだったためか、社会の底辺に生きる庶民を慈しむような名作を残した。

 初期には貧しさを売り物にする作家、戦時中は軍国主義政府お抱えの小説家などの批判を受ける存在だったが、戦後は普通の日本人の姿を描き出す作家だった。

 林芙美子の書いた作品数は非常に多いが、代表作には 『浮雲』『放浪記』『下駄で歩いた巴里』『晩菊』『戦線』『屋久島紀行』『美しい犬』『風琴と魚の町』『晩菊・水仙・白鷺』『下町』などがある。

濱口雄幸
 濱口雄幸は、明治3年(1870年)土佐国長岡郡五台山で生まれた、日本の大蔵官僚であり政治家である。出生時に「幸雄」と命名されたのだが、出生届けを出しに行った父親が酒を飲み酩酊していて、誤って「雄幸」と記入したため、このような名前になった。

 明治28年(1895年)、現在の東京大学の前身となる、帝国大学法科を卒業した。同窓会に「二八会」があり、この会は後に政治ネットワークへと発展した。大蔵省に入省後、大蔵次官などを務め、立憲同志会入党を経て衆議院議員に当選する。

 大蔵大臣、内務大臣、内閣総理大臣、立憲民政党総裁などを歴任した。総理大臣として、緊縮政策を断行したり、野党である立憲政友会の反対を押し切り、ロンドン海軍軍縮条約を結んだ。