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〔原敬〕

 

 原敬は、安政3年(1856年)現在の盛岡市本宮で盛岡藩士の次男として生まれた、日本の外交官であり政治家である。原敬は、後の時代には「平民宰相」と呼ばれ親しまれてきたが、原家は上級武士の家柄であった。

 郵便報知新聞記者を経て外務省に入省し、農商務省に移って陸奥宗光や井上馨からの信頼を得る。陸奥外務大臣時代には外務官僚として重用されるが、陸奥の死後には退官した。


 その後、政界入りし、外務次官、大阪毎日新聞社社長、立憲政友会幹事長、逓信大臣、衆議院議員、内務大臣、立憲政友会総裁、内閣総理大臣、司法大臣などを歴任した。爵位の受け取りを固辞し続けたため「平民宰相」と渾名された。

 大正10年(1921年)、東京駅丸の内南口コンコースで右翼青年に襲撃され暗殺された。満65歳だった。



偉人のプロフィール

〔原敬〕のプロフィール。

〔原敬〕

原敬の肖像・写真 
(出典:ウイキペディア)
プロフィール
通称

〔通称〕
・原 敬(はら たかし)
・原 敬(はら けい)

本名

〔本名〕
・原 敬(はら たかし)

別名

〔幼名〕健次郎
〔号〕一山、逸山
〔綽名〕平民宰相
〔洗礼名〕ダビデ

称号

〔栄典〕
・従六位
・正六位
・正四位
・正三位
・正二位

・勲五等瑞宝章
・勲三等旭日中綬章
・勲一等旭日大綬章
・大礼記念章
・旭日桐花大綬章
・第一回国勢調査記念章
・大勲位菊花大綬章

・ベルギー王国コマンドールドロルドルドレオポール勲章
・フランス共和国レジオンドヌール勲章オフィシエ
・ロシア帝国神聖アンナ第一等勲章
・スペイン王国イザベルラカトリック第一等勲章
・大清帝国頭等第三双竜宝星

時代

〔時代〕
・江戸時代末期~大正時代

生誕

〔生誕〕安政3年2月9日(1856年3月15日)
〔生誕地〕陸奥国岩手郡本宮村(現:岩手県盛岡市)

死没

〔死没〕大正10年(1921年)11月4日)(享年65歳没)
〔没地〕東京府東京市麹町区(現:東京都千代田区)(暗殺)
〔墓所〕

国籍 日本国
言語 日本語
居住地

学歴

〔学歴〕
・藩校 作人館(現・盛岡市立仁王小学校)
・共慣義塾中退
・カトリック神学校
・司法省法学校中退
・中江兆民の仏学塾

職業

〔職業〕
・日本の外交官
・政治家

〔政界〕
・外務次官
・立憲政友会幹事長
・逓信大臣(第11・16代)
・衆議院議員
・内務大臣(第25・27・29代)
・立憲政友会総裁(第3代)
・内閣総理大臣(第19代)
・司法大臣(第22代)

〔前職〕
・大阪毎日新聞社長

分野

〔ジャンル〕
・日本の政治

所属

〔所属〕
・政友倶楽部
・立憲政友会

業績

〔業績〕
・原は、大阪毎日新聞社社長に就任、立憲政友会創立に参画して、逓相・内相を歴任後、総裁に就任した。

・鉄道敷設などの利益誘導と引換に、支持獲得を目指す集票手法である、「積極主義」を駆使し、政友会の党勢拡大を図った。

・原のこの積極主義は「我田引鉄」と呼ばれる利益誘導型政治を生み出した。現代に繋がる日本の政党政治と利益誘導の構造を作り上げる先駆けとなった。

・大正7年(1918)、平民宰相としての初の政党内閣を組織し、交通の整備、教育の拡張など積極政策を行った。平民宰相と称されたが、強硬政策が反発を買い、大正10年、東京駅で暗殺された。

作品

受賞歴

名言

〔原敬の名言〕



サイト

その他

・帝国議会の施政方針演説などでの「首相」自身の呼称は、それまでの「本官」や「本大臣」であったが、原は「私」を使用した最初の総理大臣であった。