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〔日本の偉人〕

〔よ〕で始まる日本の偉人



 古来より現代に至るまで日本にも数は少ないが〔よ〕で始まる偉人がいる。彼らは偉大な業績を残し、日本の文化の発展や歴史の変革に大きく貢献した。

吉村作治 吉田兼好 吉田松陰 吉田茂



 吉田茂は、日本の外交官・政治家で、第二次大戦後に5期にわたって内閣総理大臣を勤めた。当サイト管理人である私の幼少時には、総理大臣といえば吉田茂と答えたものである。

 吉村作治は、日本の考古学者・工学博士・早稲田大学名誉教授・サイバー大学客員教授である。

 日本におけるエジプト考古学研究の第一人者であり、衛星写真技術などの高度技術を用いた方法でダハシュール北地区で神殿型大型貴族墓を発見し大きな成果を上げている。2001年には、ラムセス2世の第4王子、カエムワセト葬祭殿において、世界で2例目となる、クフ王の銘が入った彫像も発見している。


 吉田兼好は、鎌倉時代末期~南北朝時代の官人・遁世者・歌人・随筆家で、兼好法師とも呼ばれている。著作の随筆『徒然草』は有名で、現在でも多くの愛好者がいる。

 吉田松陰は、日本の武士、長州藩士であり、思想家・教育者・兵学者・地域研究家でもある。「一君万民論」を展開し、国家は天皇が支配すべきものとして、天皇の下に万民は平等であるべきとし、天皇のためなら死をも覚悟して尽くすべきとした。幕府からみれば、その権威を否定する過激思想であった。いずれにせよ、明治維新の精神的指導者であったとされる。



〔よ〕で始まる偉人概要

〔よ〕で始まる偉人概要の説明。

横井庄一

 横井庄一は、日本の陸軍軍人であり評論家である。彼の最終階級は陸軍軍曹であり、勲七等青色桐葉章の栄典を授与されている。戦時中、グアム島で戦っていたが太平洋戦争の終結を知らず、終戦から28年目に、アメリカ領グアム島において地元猟師により発見された残留日本兵である。

 横井は厳しい軍事教育を受けた影響で、「生きて本土へは戻らぬ」という決意があった。帰国に際しては、羽田空港で出迎えた斎藤邦吉厚生大臣に「何かのお役に立つと思って恥をしのんで帰ってまいりました」と伝えたと言う。

 また、記者会見では「恥ずかしながら生きながらえておりましたけど」と発言し、「恥ずかしながら帰って参りました」がその年の流行語となった。

横溝正史

 横溝正史は、現在の兵庫県神戸市中央区東川崎町生まれの日本の小説家で推理作家である。大正9年、神戸二中を卒業後、第一銀行神戸支店に勤務したが、翌年に雑誌『新青年』の懸賞に応募した『恐ろしき四月馬鹿(エイプリル・フール)』が入選作となった。

 その後、1926年に江戸川乱歩に招かれ上京、博文館に入社し編集長に就任する。『文芸倶楽部』『探偵小説』などの編集長などをしたが、1932年に専業作家となる。戦時中は自由な作品が書けない時代が続いたが、戦後になると本格的な推理小説が書けるようになり、1948年に『本陣殺人事件』により第1回日本探偵作家クラブ賞などを受賞し、日本探偵小説界の主役となった。

 横溝正史の代表作には『鬼火』『本陣殺人事件』『獄門島』『八つ墓村』『犬神家の一族』『悪魔が来りて笛を吹く』『幽霊座』『三つ首塔』『悪魔の手毬唄』『仮面舞踏会』『悪霊島』『人形佐七捕物帳』などがある。

吉川英治

 吉川英治は、神奈川県生まれの日本の小説家である。幅広い読者層を有したことから「国民文学作家」といわれる作家である。

 10歳頃から雑誌に投稿するようになり、少年雑誌に作文が入選したことがある。大正3年『江の島物語』が『講談倶楽部』誌に3等当選する。関東大震災後『剣魔侠菩薩』を『面白倶楽部』誌に連載して、ようやく作家として一本立ち、その後、次々と作品を発表する。

 吉川英治の代表作には、『鳴門秘帖』『宮本武蔵』『新・平家物語』『私本太平記』『新・水滸伝』など多数がある。

吉村作治

 吉村作治は日本の工学博士であり考古学者、早稲田大学名誉教授である。サイバー大学客員教授、東日本国際大学専任教授副学長などを歴任した。日本でのエジプト考古学の第一人者であり、衛星写真分析などを駆使するハイテク技術により遺跡発掘を行う手法を用いて活躍している。

 大変なアラブ通であり、留学や発掘調査などでエジプトでの生活も長い。最初の妻はエジプト人であった。NHKやTBSなどのTVではドキュメンタリー番組のコメンテーターとして出演することが多い。

 2003年にはピラミッドのプロトタイプとされるエジプト最古級の大型石造建造物を発見している。代表的著作には『アラブ・ゲリラ』『エジプト史を掘る』『ヒエログリフで学ぼう!』『ピラミッドの謎』などがある。

吉田兼好

 吉田兼好は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての官人であり遁世者、歌人、随筆家である。出家したことから兼好法師とも呼ばれる。

 治部少輔卜部兼顕の子として生まれたが、卜部氏の嫡流は後の時代に吉田家、平野家などに分かれた。日本三大随筆の一つとされる『徒然草』の作者としてあまりにも有名である。また私家集『兼好法師家集』がある。

吉田松陰

 幕末の思想家。日本の武士・長州藩士・思想家・教育者・兵学者・地域研究家。一君万民論で、「天下は万民の天下にあらず、天下は一人の天下なり」と唱え、国家は天皇が支配するものとした。万民は天皇の下に平等であるが、万民は天皇のために死に物狂いで尽くさなければならないと説いた。これは幕府の権威を否定する過激な思想であった。

吉田正

 吉田正は、茨城県日立市出身の国民歌謡作曲家であり、生涯にわたって作曲を続け作曲数は2400曲を越えるとされる。

 鶴田浩二や三浦洸一、フランク永井、橋幸夫、和田弘とマヒナスターズなど、その時代を代表する多くの歌手を育て上げ、日本歌謡史の黎明期を創りだした。哀愁を帯びたメロディー、ムード歌謡、青春歌謡など幅広い歌曲を残している。

 吉田正の代表曲には『異国の丘』『落葉しぐれ』『街のサンドイッチマン』『赤と黒のブルース』『好きだった』『有楽町で逢いましょう』『夜霧の第二国道』『東京午前三時』『グッド・ナイト』『東京ナイト・クラブ』『誰よりも君を愛す』『潮来笠』『再会』『夜がわるい』『いつでも夢を』『江梨子』『恋をするなら』『おまえに』『傷だらけの人生』などがある。死後、1998年に国民栄誉賞を受賞している。

吉田茂

 日本の外交官・政治家で、第45・48~51代総理大臣、多くの大臣議席などを歴任した。第二次大戦後の混乱期に日本の政治を指導し、戦後日本の礎を築いた。1953年2月28日の衆議院予算委員会において、吉田茂首相は社会党右派の西村栄一議員に対して「バカヤロー」との暴言を吐き、3月14日の衆議院解散となった。この解散は俗に「バカヤロー解散」と呼ばれる。

与謝野晶子

 日本の歌人・作家・思想家で、夫は与謝野鉄幹であり、共に文化学院創設。1901年、女性が性愛をあからさまに表現するなどあり得ない時代に、官能をおおらかに詠いあげるような情熱的作品が多い歌集『みだれ髪』を発表した。日露戦争期には、『君死にたまふことなかれ』を歌っている。『源氏物語』の現代語訳でも知られている。

与謝蕪村

 与謝蕪村は、享保元年(1716年)摂津国東成郡毛馬村で出生の江戸時代中期の日本の俳人であり画家である。摂津国東成郡毛馬村は現在の大阪市都島区毛馬町だが、それ以上の詳しい出自は分かっていない。

 20歳の頃、江戸で早野巴人に師事して俳諧を学んだ。27歳の時、師が没すると下総国結城の砂岡雁宕のもとに寄寓し、尊敬する松尾芭蕉に憧れて、僧の姿で芭蕉の足跡を行脚した。持ち前の絵の特技を活かして、宿代を絵で賄っていた。