| 通称 | 〔通称〕 ・横井 庄一(よこい しょういち)
 
 
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    | 本名 | 〔本名〕 ・横井 庄一(よこい しょういち)
 
 
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    | 別名 |  | 
   
    | 称号 | 〔栄典〕 ・勲八等(戦前受章)
 ・勲七等青色桐葉章
 
 
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    | 時代 | 〔時代〕 ・大正時代~平成時代
 
 
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    | 生誕 | 〔生誕〕1915年3月31日 〔生誕地〕愛知県海部郡佐織村(現在の愛西市)
 
 
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    | 死没 | 〔死没〕1997年9月22日(満82歳没) 〔没地〕
 〔戒名〕
 〔墓所〕
 
 
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    | 国籍 | 日本国 | 
   
    | 言語 | 日本語 | 
   
    | 居住地 |  | 
   
    | 学歴 |  | 
   
    | 職業 | 〔職業〕 ・日本の陸軍軍人
 ・評論家
 
 〔軍歴〕
 ・第一補充兵役(1935年~1939年)
 ・再召集(1972年まで戦闘継続)(1942年~1945年)
 
 
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    | 分野 | 〔ジャンル〕 ・第二本帝国陸軍軍人
 ・太平洋戦争終結から28年目、アメリカ領グアム島で発見された残留日本兵
 
 
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    | 所属 | 〔最終階級〕 ・陸軍軍曹
 
 
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    | 業績 | 〔業績〕 ・太平洋戦争の終戦を知ることなく終戦から28年間、あくまでも日本軍人としてグアム島で生存した。
 
 
 
 
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    | 作品 | 〔著書〕 『明日への道 全報告グアム島孤独の28年』
 『無事がいちばん 不景気なんかこわくない』
 『横井庄一のサバイバル極意書/もっと困れ!』
 
 
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    | 受賞歴 |  | 
   
    | 名言 | 〔横井庄一の名言〕 
・何かのお役に立つと思って恥をしのんで帰ってまいりました(帰国の際、羽田空港で空港に出迎えに来た、斎藤邦吉厚生大臣に伝えた言葉)
 
 ・恥ずかしながら生きながらえておりましたけど。
 
 「恥ずかしながら帰って参りました」が1972年(昭和47年)の流行語となった。
 
 ・君想う 心に勝る 名城の月。
 (横井さんがグラスのコースターに書いて、奥さんとなった美保子さんに渡した言葉)
 
 
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    | サイト |  | 
   
    | その他 | 名古屋市中川区には、私営の記念館「横井庄一記念館」がある。この記念館は、横井庄一を記念し、自宅の一部を日曜日にのみ公開している。 
 
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