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〔日本の偉人〕

〔つ〕で始まる日本の偉人



 〔つ〕で始まる日本の偉人には、次のような人がいるが全体ではとても少ない。

円谷英二 堤義明

 円谷英二は、特撮監督の専門家で映画監督・撮影技師・発明家である。円谷英二の作品は、昭和期の特殊撮影技術に一風を吹き込み一世を風靡した。



 戦後初期には 『太平洋の鷲』 などの戦争映画を残したほか、多くのゴジラシリーズ映画を作った。テレビ番組の 〔ウルトラQ〕 も大人気であった。

 わたしはアメリカ在住時にアメリカ人の友人に、ゴジラを知ってるかと訊いたら、彼は知ってるどころか、自分はゴジラで育ったんだと言っていた。ゴジラはそれほどに世界中で愛されるキャラクターなのだ。日本人として鼻が高かった記憶が思い出される。



〔つ〕で始まる偉人概要

〔つ〕で始まる偉人概要の説明。

円谷英二

 円谷英二は、特撮監督の専門家で、映画・特撮の監督・映画監督・撮影技師・発明家である。昭和期の特殊撮影技術に一風を吹き込み一世を風靡した。

 戦後初期には「太平洋の鷲」などの戦争映画を残したほか、多くのゴジラシリーズ映画を作った。テレビ番組の「ウルトラQ」も大人気であった。

坪内逍遥

 坪内逍遥は、尾張藩領美濃国加茂郡太田宿生まれで、主に明治時代に活躍した日本の小説家であり評論家、翻訳家、劇作家でもある。父から漢学書を読まされ、少年期には貸本屋に通って読本・草双紙などの江戸戯作や俳諧、和歌に親しみ、特に滝沢馬琴に心酔したという。

 1883年、東京大学文学部政治科を卒業し文学士となる。在学中は西洋文学を学ぶ。1885年、26歳の時、評論『小説神髄』を発表し、小説を芸術にまで高めるために、江戸時代の勧善懲悪の物語を否定し、小説は先ず人情を書くべきとした。これにより、近代文学の誕生に大きく貢献したとされる。

 坪内逍遥の主な作品には、『小説神髄』『当世書生気質』『未来の夢』『妹と背鏡』『細君』『桐一葉』『牧の方』『役の行者』『新曲浦島』、そしてシェイクスピア全集の翻訳などがある。

壺井栄

 壺井栄は、香川県小豆郡坂手村出身の小説家であり詩人である。1899年、醤油樽職人の岩井藤吉の五女として生まれ、貧困で苦労するが、坂手小学校、内海高等小学校を卒業する。その後、郵便局や役場で働き、1925年には上京、26歳のとき、プロレタリア作家・壺井繁治と結婚する。

 1938年、処女作『大根の葉』を発表、その後も数多くの作品を執筆した。1952年には『二十四の瞳』を発表する。この作品は1954年に木下惠介監督・高峰秀子主演で映画化され、大好評を博し一世を風靡した。小豆島の名を全国に知らしめもした。

 内海町名誉町民となったほか、芸術選奨文部大臣賞、新潮文芸賞、児童文学賞など多くの賞を受賞した。1979年には壺井栄賞が創設された。

堤義明

 堤義明は、日本の実業家で西武鉄道グループの元オーナーである。東京に実業家の堤康次郎と内縁関係にある石塚恒子の間に生まれる。父は西武グループの基礎を一代で築き上げた堤康次郎であり、幼少時より父親からスパルタ教育により帝王学を教育されて育った。

 一時は総資産額で世界一とも言われたが、西武グループの度重なる不祥事の責任を取り引退、インサイダー取引疑惑で有罪判決を受けている。堤義明に関しては多くのスキャンダルがあって、まっとうな人間で、この男を好きな者のは少ない。

土屋文明

 土屋文明は、群馬県群馬郡群馬町上郊村出身の歌人であり国文学者である。幼少期に叔父から俳句の手ほどきを受け、旧制高崎中学在学中から俳句や短歌を『ホトトギス』に投稿していた。

 中学校卒業後には、伊藤左千夫を頼って上京、短歌の指導を受け『アララギ』に参加する。第一高等学校文科、東京帝国大学卒業後『アララギ』撰者などを経て1930年には、斎藤茂吉から『アララギ』の編集発行人を引き継ぎアララギ派の指導的存在となる。

 戦後、群馬吾妻に移り万葉集の研究に専念し、万葉集研究の第一人者となる。昭和38年より宮中歌会初召人となる。61年には、文化勲章を受章している。著書に『万葉集年表』・『万葉集私注』・『万葉集名歌評釈』などがある。

鶴田浩二

 鶴田浩二は、日本の俳優であり歌手である。昭和時代を代表する映画スターとして活躍し、数多くの映画やドラマに主演した。歌手としても独特な歌い方で多くのヒットを残した。

 19歳の時、関西大学専門部商科に入学するが学徒出陣命令により徴兵され、海軍航空隊へと配属される。特攻隊要員となるが終戦により出撃を免れる。抜群の甘いマスクと時にのぞかせる翳りの表情が素敵でトップスターとなる。任侠映画や戦争映画を中心に無数の映画に出演し、長いあいだ日本の映画界に君臨した。

 代表曲に『好きだった』『傷だらけの人生』『赤と黒のブルース』『無情のブルース』『街のサンドイッチマン』などがある。