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〔日本の偉人〕

〔つ〕で始まる日本の偉人

坪内逍遥

(つぼうち しょうよう)



 坪内逍遥は、尾張藩領美濃国加茂郡太田宿生まれで、主に明治時代に活躍した日本の小説家であり評論家、翻訳家、劇作家でもある。父から漢学書を読まされ、少年期には貸本屋に通って読本・草双紙などの江戸戯作や俳諧、和歌に親しみ、特に滝沢馬琴に心酔したという。



 1883年、東京大学文学部政治科を卒業し文学士となる。在学中は西洋文学を学ぶ。1885年、26歳の時、評論『小説神髄』を発表し、小説を芸術にまで高めるために、江戸時代の勧善懲悪の物語を否定し、小説は先ず人情を書くべきとした。

 これにより、近代文学の誕生に大きく貢献したとされる。


 坪内逍遥の主な作品には、次のようなものあがり、更にシェイクスピア全集の翻訳などがある。

 『小説神髄』   『当世書生気質』
 『未来の夢』   『妹と背鏡』
 『細君』     『桐一葉』
 『牧の方』    『役の行者』
 『新曲浦島』


偉人のプロフィール

〔坪内逍遥〕のプロフィール。

〔坪内逍遥〕

坪内逍遥の肖像・写真 
(出典:Columegg)
プロフィール
通称 〔通称〕
・坪内 逍遥(つぼうち しょうよう)

本名 〔本名〕
・坪内 逍遥(つぼうち しょうよう)
(旧字体:坪?逍遙)

別名
称号
時代 〔時代〕
・江戸末期~明治時代

生誕 〔生誕〕1859年6月22日(安政6年5月22日)
〔生誕地〕美濃国加茂郡太田宿(現・岐阜県美濃加茂市)

死没 〔死没〕1935年(昭和10年)2月28日)(享年77没)
〔没地〕静岡県熱海市
〔墓所〕静岡県熱海市 海蔵寺
〔戒名〕双柿院始終逍遙居士

国籍 日本国
言語 日本語
居住地
学歴 〔学歴〕
・愛知外国語学校(現・愛知県立旭丘高等学校)
・東京開成学校入学
・東京大学予備門(後の第一高等学校)
・東京大学文学部政治科卒業
 (学士:文学)

職業 〔職業〕
・小説家
・評論家
・翻訳家
・劇作家

・東京専門学校講師
・早稲田大学教授

〔活動期間〕
・1885年~1916年

分野 〔文学活動〕
・写実主義

所属
業績 〔業績〕
・坪内逍遥には、代表作『小説神髄』『当世書生気質』の他、シェイクスピア全集の翻訳などがあり、近代日本文学の成立や演劇改良運動に大きな影響を与えた。

・小説を芸術として発展させるために、江戸時代の勧善懲悪の物語を否定し、小説はまず人情を描くべきで、世態風俗の描写がこれに次ぐと論じた。この心理的写実主義によって日本の近代文学の誕生に大きく貢献した。

作品 〔小説〕
 『小説神髄』
 『当世書生気質』
 『未来の夢』
 『妹と背鏡』
 『細君』

〔戯曲〕
 『桐一葉』
 『牧の方』
 『役の行者』

〔楽劇〕
 『新曲浦島』

〔研究〕
 『シェークスピア研究栞』
 『イプセン研究』

〔翻訳〕
 『びシェイクスピア全集』

受賞歴 〔受賞歴〕
・朝日文化賞

名言 〔坪内逍遥の名言〕



サイト
その他