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〔日本の偉人〕

〔は〕で始まる日本の偉人

華岡青洲

(はなおか せいしゅう)



 華岡青洲は、宝暦10年(1760年)華岡直道の長男として紀伊国那賀郡名手荘西野山村で生まれた、江戸時代の外科医である。世界で初めて全身麻酔を用いた手術(乳癌手術)を成功させたことで知られている。

 彼は、手術の際に苦しむ患者の苦痛を和らげ、人名を救いたいと麻酔薬の開発を志した。そして、幾多の研究の結果、曼陀羅華という植物の実や草烏頭(トリカブト)を主成分としたいくつかの薬草に麻酔作用を発見する。



 青洲は、天明5年(1785年)、父・直道の後を継いで開業する。手術での患者の苦しみを和らげ、人命を救いたいと考え、麻酔薬の研究を始める。

 動物実験で、6種類の薬草を調合した生薬に麻酔効果があることを発見する。麻酔薬を完成するまでには、どうしても人体実験が必要となったが、行き詰まってしまう。

 実母の於継と妻の加恵が実験台になることを申し出たことで、数回にわたる人体実験を行うことができたが、母・於継の死、妻・加恵の失明という大きな犠牲の上で、全身麻酔薬「通仙散」の開発に成功したのだった。


 文化元年10月13日(1804年11月14日)、大和国宇智郡五條村の藍屋勘という60歳になる女性に対し、通仙散による全身麻酔下での乳癌の摘出手術を行い成功した。世界で初めての全身麻酔薬を用いた外科手術だった。

 青洲は、文化10年(1813年)には紀州藩の「小普請医師格」に任用される。文政2年(1819年)には「小普請御医師」に昇進し、天保4年(1833年)には「奥医師格」となった。

 青洲はオランダ式の縫合術、アルコールによる消毒などを行い、乳癌だけでなく、膀胱結石、脱疽、痔、腫瘍摘出術などさまざまな手術を行ったとされる。

 彼の開発した通仙散の他にも、彼の考案した処方「十味敗毒湯」「中黄膏」「紫雲膏」などは現在も使われている。


偉人のプロフィール

〔華岡青洲〕のプロフィール。

〔華岡青洲〕

華岡青洲の肖像・写真 
(出典:ウイキペディア)
プロフィール
通称 〔通称〕
・華岡 青洲(はなおか せいしゅう)

本名 〔本名〕
・華岡 青洲(はなおか せいしゅう)

別名 〔諱〕震(ふるう)
〔字〕伯行
〔通称〕雲平
〔号〕青洲・随賢
・随賢は祖父・華岡尚政の代から華岡家の当主が名乗っている号で、青洲はその3代目である。

称号 〔栄典〕
・正五位追贈(大正8年)

時代 〔時代〕
・江戸時代

生誕 〔生誕〕宝暦10年10月23日(1760年11月30日)
〔生誕地〕紀伊国那賀郡名手荘西野山村

死没 〔死没〕天保6年10月2日(1835年11月21日)(享年76歳)
〔没地〕日本
〔法名〕天聴院聖哲直幸居士
〔墓所〕和歌山県紀の川市西野山

国籍 日本国
言語 日本語
居住地
学歴 〔就学〕
・吉益南涯に古医方を3ヶ月学ぶ。

・大和見水にカスパル流外科を1年学ぶ。(オランダ商館のドイツ人医師カスパル・シャムベルゲルが日本に伝えた外科技術)

・見水の師・伊良子道牛が確立した「伊良子流外科」を学ぶ。(古来の東洋医学とオランダ式外科学の折衷医術)

・長く京都に留まり、医学書や医療器具を買い集める。それらの中で、永富独嘯庵の『漫遊雑記』には、乳癌の治療法の記述があり、後の伏線となった。

職業 〔職業〕
・江戸時代の外科医

分野 〔ジャンル〕
・外科手術
・全身麻酔薬

所属 〔流派〕
・華岡流
・カスパル流外科
・伊良子流外科

業績 〔業績〕
・複数の薬草を配合することで、世界で初めての全身麻酔薬「通仙散」を開発した。この開発のための人体実験では実母の死と妻の失明という苦難をともなった。

・記録に残るものとして、世界で初めて全身麻酔を用いた手術(乳癌手術)を成功させた。

作品
受賞歴
名言 〔華岡青洲の名言〕



サイト
その他  紀ノ川市西野山473番地に麻酔博物館「青洲の里」がある。

 昭和27年(1952年)、外科を通じて世界人類に貢献した医師のひとりとして、アメリカ合衆国のシカゴにある国際外科学会付属の栄誉館に祀られた。