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〔日本の偉人〕

〔は〕で始まる日本の偉人

林芙美子

(はやし ふみこ)



 林芙美子は、明治36年(1903年)門司市小森江で生まれた日本の小説家である。幼少時代は貧しい育ちだったためか、社会の底辺に生きる庶民を慈しむような名作を残した。

 初期には貧しさを売り物にする作家、戦時中は軍国主義政府お抱えの小説家などの批判を受ける存在だったが、戦後は普通の日本人の姿を描き出す作家だった。



 林芙美子の書いた作品数は非常に多いが、代表作には次のものなどがある。

 『浮雲』
 『放浪記』
 『下駄で歩いた巴里』
 『晩菊』
 『戦線』
 『屋久島紀行』
 『美しい犬』
 『風琴と魚の町』
 『晩菊・水仙・白鷺』
 『下町』


 林芙美子は、物心つく小学生時代を極貧に育ったため、彼女の名作には、庶民を慈しむような表現の作品が多い。文壇に登場した初期の頃には、「貧乏を売り物にする素人小説家」と言われた。

 短期間パリに在住してその経験から書き上げた時期には、「たった半年間のパリ滞在を売り物にする成り上がり小説家」と言われ、

 日中戦争から太平洋戦争の時期には、「軍国主義を太鼓と笛で囃し立てた政府お抱え小説家」などと批判された。

 しかし、戦後の昭和26年6月28日に急逝するまでの六年間は、敗戦の苦難に打ちのめされた普通の日本人の悲しみや悩みを書き続けた。


偉人のプロフィール

〔林芙美子〕のプロフィール。

〔林芙美子〕

林芙美子の肖像・写真 
(出典:ウイキペディア)
プロフィール
通称 〔通称〕
・林 芙美子(はやし ふみこ)

本名 〔本名〕
・林 芙美子(はやし ふみこ)

別名
称号
時代 〔時代〕
・明治時代後期~昭和時代前期

生誕 〔生誕〕1903年(明治36年)12月31日
〔生誕地〕山口県下関市、福岡県門司市

死没 〔死没〕1951年(昭和26年)6月28日(享年47歳没)
〔没地〕東京都新宿区下落合
〔戒名〕純徳院芙蓉清美大姉
〔墓所〕萬昌院功運寺

国籍 日本国
言語 日本語
居住地
学歴 〔学歴〕
・長崎小学校
・佐世保小学校(転校)
・下関小学校(転校)
・市立尾道小学校(転校)
・尾道市立高等女学校

職業 〔職業〕
・日本の小説家

〔活動期間〕
・1928年~1951年

分野 〔ジャンル〕
・小説
・随筆
・詩

所属
業績 〔業績〕
・林芙美子は、幼少時に極貧状態に育ったため、初期の作品は、庶民を慈しむような表現したものが多かった。文壇に登場した初期には、貧乏を売り物にしている、などと呼ばれた。

・日中戦争、太平洋戦争時には、軍国主義を讃える小説家などと批判されたが、戦後には敗戦の苦難に打ちのめされた普通の日本人の悲しみや悩みを書き続けた。

作品 〔代表作〕
 『浮雲』
 『放浪記』
 『下駄で歩いた巴里』
 『晩菊』
 『戦線』
 『屋久島紀行』
 『美しい犬』
 『風琴と魚の町』
 『晩菊・水仙・白鷺』
 『下町』

〔戦前・戦中〕
 『蒼馬を見たり』
 『放浪記』
 『続放浪記』
 『彼女の履歴』
 『清貧の書』
 『面影』
 『散文家の日記』
 『泣虫小僧』
 『牡蠣』
 『野麦の唄』
 『文学的断章』
 『愛情伝』
 『愛情』
 『稲妻』
 『女の日記』
 『花の位置』
 『紅葉の懺悔』
 『氷河』
 『月夜』
 『戦線』
 『北岸部隊』
 『生活詩集』
 『波濤』
 『私の紀行』
 『蜜蜂』
 『一人の生涯』
 『青春』
 『悪闘』
 『女優記』
 『七つの燈』
 『魚介』
 『十年間』
 『歴世』
 『初旅』
 『川歌』
 『雨』

〔戦後〕
 『旅情の海』
 『うき草』
 『婦人の為の日記と随筆』
 『旅館のバイブル』
 『一粒の葡萄』
 『淪落』
 『創作ノート』
 『舞姫の記』
 『雁』
 『夢一夜』
 『巴里の日記』
 『うず潮』
 『暗い花』
 『放浪記第三部』
 『女性神髄』
 『晩菊』
 『第二の結婚』
 『牛肉』
 『松葉牡丹』
 『槿花』
 『夜猿』
 『茶色の眼』
 『新淀君』
 『あばれ人妻』
 『冬の林檎』
 『絵本猿飛佐助』
 『浮雲』

受賞歴 〔受賞歴〕
・女流文学者賞

名言 〔林芙美子の名言〕

・花の命は短くて苦しきことのみ多かりき。

サイト
その他  下落合の旧自宅が新宿区立林芙美子記念館になっている。

 長野県下高井郡山ノ内町角間にある、戦時中、疎開していたとき二階を借りた民家が、林芙美子文学館になっている。