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〔日本の偉人〕

〔せ〕で始まる日本の偉人

世阿弥

(ぜあみ)



 世阿弥は、日本の室町時代初期の大和猿楽結崎座の猿楽師である。父の観阿弥とともに猿楽(現在の能)を大成し多くの書を残した。この能は観世流として現代に受け継がれている。

 父親である観阿弥が31歳のとき世阿弥は生まれ、幼少時より父の一座に出演するようになる。1374年、彼が13歳のおり、観阿弥が今熊野で催した猿楽能に出演し、室町将軍足利義満の目にとまる。


 1384年、観阿弥が没すると世阿弥は観世太夫を継ぐ。義満が没し将軍が足利義持の代になっても、猿楽は深化する。


あいうえお
かきくけこ
さしすせそ
たちつてと
なにぬねの
はひふへほ
まみむめも
やゆよ
らりるれろ
わをん

〔せ〕で始まる日本の偉人

関孝和 世阿弥
清少納言 雪舟
千利休
 
〔世阿弥:珠玉の名言〕
 

・初心忘るべからず。

・稽古は強かれ、情識はなかれ。

・秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず。

 

 当時の貴族・武家社会は幽玄を尊ぶ気風にあった。世阿弥は観客である彼らの好みに合わせ、言葉、所作、歌舞、物語に幽玄美を漂わせる能の形式「夢幻能」を大成させていった。

 その頃の猿楽者の教養は低かったが、世阿弥は将軍や貴族の保護を受け、教養を身に付ける。特に摂政二条良基に連歌を習ったことれは、後々世阿弥の書く能や能芸論に強く影響を残した。


 義満の死後、将軍が義持の代に変わると、義持は猿楽よりも田楽を好んだため、義満の時代ほどは恩恵を受けられなくなったが、世阿弥はさらに猿楽を深化させ、『風姿花伝』や『至花道』を残している。

 しかし義持が没し、時代が足利義教の代に変わると、弾圧が加えられるようになってしまう。1422年には観世大夫の座を長男の観世元雅に譲り、自身は出家する。

 義教は、元雅の従兄弟にあたる音阿弥(観世三郎元重)を重用するようになり、世阿弥・元雅親子は地位と興行地盤を着実に奪われてしまう。1432年、長男の観世元雅は伊勢安濃津にて客死してしまう。失意の中、世阿弥も1434年に佐渡国に流刑される。

 後に帰洛したとも伝えられ、幼少時に参学した補巌寺に帰依し、世阿弥夫妻は至翁禅門・寿椿禅尼と呼ばれる。能帳には田地各一段を寄進したことが残っている。


偉人のプロフィール

〔世阿弥〕のプロフィール。

〔世阿弥〕

世阿弥の肖像・写真 
(出典:雑誌「太陽」
木像 入江美法 作)
プロフィール
通称 〔通称〕
・世阿弥(ぜあみ)

本名 〔実名〕
・元清
・世阿弥(ぜあみ)
・正しくは世阿彌(ぜあみ)
・父の死後、観世大夫を継ぐ

・世阿彌陀佛
・世は観世に由来
・世阿弥陀仏が略されて世阿弥と称されるようになる。
・世の字の発音が「せ」でなく「ぜ」と濁るのは足利義満の指示によるもの。

別名 〔幼名〕鬼夜叉、そして二条良基から藤若の名を賜る。
〔通称〕三郎
〔法名〕40代以降に時宗の法名(時宗の男の法名
〔戒名〕阿弥陀仏(阿彌陀佛)号

称号

時代 〔時代〕
・室町時代初期

生誕 〔生誕〕正平18年/貞治2年(1363年)?
〔生誕地〕愛知県 名古屋市

死没 〔死没〕嘉吉3年8月8日(1443年9月1日)?
・「観世小次郎画像賛」によれば嘉吉3年(1443年)に没したとされている。

〔没地〕
〔墓所〕
・大徳寺に分骨されたのではないかといわれている。

国籍 日本国
言語 日本語
居住地
学歴 〔参学〕 ・大和国十市郡の補巌寺で竹窓智厳に師事し参学した。

職業 〔職業〕
・室町時代初期の大和猿楽結崎座の猿楽師

分野 〔ジャンル〕
・猿楽
・申楽
・能(現在)

所属 〔所属〕
・観世流の能

業績 〔業績〕
・父の観阿弥(觀阿彌陀佛)とともに猿楽(申楽とも。現在の能)を大成し、多くの書を残した。

・観阿弥、世阿弥の能は観世流として現代に受け継がれている。

・世阿弥の代表的作品には、『高砂』『井筒』『実盛』などがあり、現在も能舞台で上演される。

・『風姿花伝』などの芸論も史料価値だけでなく文学的価値も高いとされる。

作品 〔世阿弥の伝書一覧〕
 『金島書』
 『風姿花伝』
 『花習内抜書』
 『音曲口伝』
 『花鏡』
 『至花道』
 『二曲三体人形図』
 『三道』
 『曲付次第』
 『風曲集』
 『遊楽習道風見』
 『五位』
 『九位』
 『六義』
 『拾玉得花』
 『五音曲条々』
 『五音』
 『習道書』
 『夢跡一紙』
 『却来華』
 『金島書』
 『世子六十以後申楽談儀』
 『金春大夫宛書状』

〔代表作〕
・世阿弥は数多くの謡曲を残している。謡曲とは、能における節と詞(ことば)、能の謡本を指す。

 「高砂」  「葦刈(あしかり)」
 「実盛」  「頼政(平家物語)」
 「恋重荷」 「忠度(平家物語)」
 「錦木」  「清経(平家物語)」
 「砧」   「敦盛(平家物語)」
 「融」   「八島(平家物語)」
 「当麻」  「井筒(伊勢物語)」
 「鍾馗」  「野守(万葉集の歌が典拠)」
 「桜川」  「鵺(ぬえ:平家物語)」
 「老松」  「花筐(はながたみ)」
 「春栄」  「檜垣(ひがき)」
 『羽衣』  「西行桜(さいぎょうざくら)」

受賞歴
名言 〔世阿弥の名言〕

・秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず。
 (自分だけの芸の秘伝を持ち、これをいたずらに使うことなく、いざという時の技とすれば、相手を圧倒することができる。)

・初心忘るべからず。
 ・ぜひ初心忘るべからず。
 ・時々の初心忘るべからず。
 ・老後の初心忘るべからず。

・男時・女時(おどき・めどき)。
 ・時の間にも、男時・女時とてあるべし。
 ・いかにすれども、能によき時あれば、必ず、また、悪きことあり。これ力なき因果なり。

 (男時:自分に勢いがある時、女時:相手に勢いがある時)
 (競合する者の勢いが強くて押されていると思うときには、小さな勝負ではあまり力まず、そんな勝負は気にしないで捨ててでも、大きな勝負に備えよ。)

・時節感当。
 ・これ、万人の見心を、シテ一人の眼精へ引き入るる際なり。当日一の大事の際なり。

 (時節とは、能役者が舞台に向かい、幕があがり橋掛かりに出る瞬間のこと。観客が役者の第一声に耳を澄ましている。その絶妙のタイミングで声を出すのだ。)

・衆人愛敬。
 ・いかなる上手なりとも、衆人愛敬欠けたるところあらんを、寿福増長のシテとは申しがたし。
 ・貴所、山寺、田舎、遠国、諸社の祭礼にいたるまで、おしなべて譏りを得ざらんを、寿福達人のシテとは申すべきや。
 ・万一少しすたるる時分ありとも、田舎・遠国の褒美の花失わせずば、ふつと道の絶ゆることはあるべからず。

 (大衆に愛されることが一座の最も大事なことである。)
 (支持してくれる大衆がいるなら、都の評判などどうなっても何とかやっていけるものだ。)

・離見の見(りけんのけん)。
 ・後ろ姿を覚えねば、姿の俗なるところをわきまえず。
 ・離見の見にて見るところはすなわち、見所同心の見なり。

 (自分の姿を左右前後から、よくよく見なければならない。)

・家、家にあらず。継ぐをもて家とす。
 ・たとえ自分の子であっても、その子に才能がなければ、芸の秘伝を教えてはならない。

 (家は、ただ続くだけでは意味がない。家芸を正しく継承してこそ、家が続くといえるのだ。)

・稽古は強かれ、情識はなかれ。
 (稽古は厳しい態度でつとめ、決して慢心してはならない。)

・時に用ゆるをもて花と知るべし。
 (物事は、その時に適したものを良し、無益なものを悪しとする。)

・年々去来の花を忘るべからず。
 (幼年期から老成期まで学び習い覚えたすべてのこと・技法を忘れてはならない。)

・住する所なきを、まず花と知るべし。
 (そこに留まり続けることなく、変化することこそが芸術の奥義である。)

・よき劫の住して、悪き劫になる所を用心すべし。
 (劫(ごう)とは「功績」のこと。)
 (良しとされたことに安住すると、それが悪い結果を招いてしまうことに用心せよ)

・時分の花をまことの花と知る心が真実の花になお遠ざかる心なり。
 (若い時の美しさはほんの一瞬だけのもの。それを自分の魅力だと思っていると本当の自分の魅力に辿りつけない。)

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