天草四郎は、一般には天草四郎時貞として知られる。江戸時代初期のキリシタン大名で幼少時より聡明でカリスマ性のある人物とされ、小西氏の旧臣やキリシタンの間で救世主として擁立、神格化されていた人物である。 |
天草四郎は、一般には天草四郎時貞として知られる。江戸時代初期のキリシタン大名で幼少時より聡明でカリスマ性のある人物とされ、小西氏の旧臣やキリシタンの間で救世主として擁立、神格化されていた人物である。 |
天草四郎は、肥後国南半国のキリシタン大名で関ヶ原の戦で敗れた小西行長の遺臣・益田好次の子として母の実家のある天草諸島の大矢野島(現在の上天草市)で生まれたとされるが、他の諸説もあり確実ではない。 |
寛永14年(1637年)に、島原の乱が勃発するが、天草四郎は一揆軍の総大将となる。戦場では十字架を掲げて軍を率いたとも伝わる。 |
◆〔天草四郎〕のプロフィール。 |