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〔日本の偉人〕

天草四郎
(あまくさ しろう)

 

 天草四郎は、一般には天草四郎時貞として知られる。江戸時代初期のキリシタン大名で幼少時より聡明でカリスマ性のある人物とされ、小西氏の旧臣やキリシタンの間で救世主として擁立、神格化されていた人物である。

天草四郎の写真 
(出典:wikipedia)

 1637年に勃発した島原の乱の一揆軍の総大将である。幕府の攻撃による原城陥落後の生死は不明のままとなっている。



 天草四郎は、肥後国南半国のキリシタン大名で関ヶ原の戦で敗れた小西行長の遺臣・益田好次の子として母の実家のある天草諸島の大矢野島(現在の上天草市)で生まれたとされるが、他の諸説もあり確実ではない。

 豊かな境遇で育ち、聡明で幼少時より学問に親しみ教養もあり、生まれながらにしてカリスマ性があったとされる。小西氏の旧臣やキリシタンの間で救世主として擁立、神格化された人物である。

 寛永14年(1637年)に、島原の乱が勃発するが、天草四郎は一揆軍の総大将となる。戦場では十字架を掲げて軍を率いたとも伝わる。

 一揆軍は原城に立てこもり戦うが、3か月の籠城で食料も弾薬も尽きて陥落し、幕府軍の総攻撃によって全滅する。四郎も原城の本丸にて幕府方の肥後細川藩士・陣佐左衛門に討ち取られたと伝えられ、四郎の首は、原城三の丸の大手門前、そして長崎出島の正面入り口前に晒されたという。


偉人のプロフィール

元和7年(1621年)/元和9年(1623年)?(生年は諸説ある)
プロフィール
通称 天草 四郎(あまくさ しろう)
本名 本名:益田 四郎(ますだ しろう)
諱:時貞(ときさだ)
洗礼名:当初は「ジェロニモ(Geronimo)」
別名 天草四郎時貞
島原の乱当時は「フランシスコ(Francisco)」を名乗った。
称号
時代 江戸時代初期
生誕
死没 寛永15年2月28日(1638年4月12日)
国籍 日本国
言語 日本語
居住地
学歴
職業 江戸時代初期のキリシタン
分野
所属 島原の乱における一揆軍の最高指導者
業績
作品
受賞歴
名言
サイト
その他  豊臣秀吉の息子・豊臣秀頼の落胤であったとする伝説があるが信憑性は低い。

 現在、原城跡をはじめ天草、島原など複数箇所に銅像が建てられている。また、後年、四郎の母が建立したとされる墓石が民家の石垣から発見され、原城跡に移築されている。


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