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〔な〕で始まる日本の偉人

永井荷風 夏目漱石
夏目雅子 中臣鎌足
中川一政 中曽根康弘
中村修二 中谷宇吉郎
長岡半太郎 南部陽一郎
長尾景虎

〔日本の偉人〕

〔な〕で始まる日本の偉人

 

 〔な〕で始まる日本の偉人は結構多くいて、次のような偉人がいます。

 ・永井荷風
 ・夏目漱石
 ・夏目雅子
 ・中臣鎌足
 ・中川一政
 ・中曽根康弘
 ・中村修二
 ・中谷宇吉郎
 ・長岡半太郎
 ・南部陽一郎



 夏目漱石は、日本の小説家・評論家・英文学者です。

 大学時代に正岡子規と出会い俳句を学んだ後、帝国大学英文科卒業、中学校教師や高等学校教授などを経験後イギリスへ留学しました。

 帰国後に雑誌『ホトトギス』に『吾輩は猫である』を投稿して有名となる。

 代表作には次のものなどがある。

 『坊っちゃん』
 『倫敦塔』
 『虞美人草』
 『三四郎』



 夏目雅子は、日本の女優である。

 1976年、『愛が見えますか』のオーディションでヒロイン役に抜擢され女優デビュー、多くのCMなどに出演した。

 大河ドラマ『黄金の日日』、日本テレビ系の『西遊記』では三蔵法師役を演じて人気を博したが、1985年2月に急性骨髄性白血病を発病し27歳の若さで他界した。


〔な〕で始まる偉人概要

〔永井荷風〕

 永井荷風は、出身の小説家である。荷風は、芝居好きな母親の影響で歌舞伎や邦楽に親しみがあるだけでなく、漢学や日本画や書にまで通じていた。

 成人することには、江戸時代の名作である『水滸伝』や『八犬伝』『東海道中膝栗毛』などを読み漁る生活をしていた。1897年に家族と上海旅行に行き、帰国後に処女作となる『上海紀行』を発表した。

 永井荷風の代表作には『あめりか物語』『ふらんす物語』『すみだ川』『腕くらべ』『墨東綺譚』『つゆのあとさき』等がある。


〔夏目漱石〕

 夏目漱石は、日本の小説家・評論家・英文学者であり、俳号は愚陀仏。大学時代に正岡子規と出会い俳句を学んだ。

 イギリスへ留学し、帰国後、東京帝大講師の傍ら『吾輩は猫である』を発表して有名となる。『坊ちゃん』や『虞美人草』『三四郎』『倫敦塔』などの作品がある。晩年は胃潰瘍に悩まされ、『明暗』が絶筆となった。


〔夏目雅子〕

 夏目雅子は、1957年、六本木の輸入雑貨店・亀甲屋の子として生まれた、日本の女優である。小学校3年生のとき、TVドラマ『チャ子ちゃんハーイ!』を見て女優を志すようになる。

1976年、日本テレビ・愛のサスペンス劇場『愛が見えますか』のオーディションに挑戦し486人の中からヒロイン役に抜擢され女優デビューする。

 その後、多くのCMなどに出演したほか、1978年には大河ドラマ『黄金の日日』に出演、日本テレビ系の『西遊記』では三蔵法師役を演じて人気を博す。1985年2月に急性骨髄性白血病を発病し9月に他界した。27歳の若さだった。


〔中臣鎌足〕

 中臣鎌足は、飛鳥時代の政治家である。日本の歴史における最大氏族「藤原氏」の始祖として知られる。鎌足は、後に天智天皇となる中大兄皇子の腹心として活躍し、大化の改新における中心人物である。

 彼は、元々は中臣氏の出身であり、初期には中臣鎌子と名乗っていたが、後に中臣鎌足に改名した。彼の臨終に際し、大織冠とともに藤原姓を賜っている。これが、藤原氏の始祖とされる所以である。

 このため、生存中の彼は中臣鎌足であり、死後の彼を指す場合には藤原鎌足と呼ぶ。『藤氏家伝』には、彼を称して「偉雅、風姿特秀」と記されているという。


〔中川一政〕

 中川一政は、1893年生まれの、東京府東京市本郷生まれの洋画家であり、美術家・歌人・随筆家である。成人した頃、巽画会展への出品作品が岸田劉生に見出されて画家を志した。洋画を初め、水墨画・版画・陶芸・詩作・和歌・随筆・書と多彩な作品を残した。

 全てが独学の画家であり、自らの画風を「在野派」と称していた。中川一政の代表作には『漁村凱風』や『薔薇』『箱根駒ケ岳』などの絵画作品がある。1975年、文化勲章を受章、文化功労者表彰を受賞している。


〔中曽根康弘〕

 中曽根康弘は、群馬県高崎市生まれ、東京帝国大学(現・東京大学)出身の日本の大政治家である。長い期間にわたり、衆議院議員、科学技術庁長官、運輸大臣、防衛庁長官、通商産業大臣、行政管理庁長官、内閣総理大臣、自由民主党総務会長、自由民主党幹事長、自由民主党総裁などの要職を歴任した。特に3期にわたり内閣総理大臣として君臨し、世界にしられる政治家として活躍した。

 冷戦時代、日米防衛協力体勢の議論に関する記者会見で、中曽根は「日本列島を敵性外国航空機の侵入を許さないように周辺に高い壁を持った船のようにする」と答えたが、通訳により「不沈空母:unsinkable aircraft carrier」と意訳されたことがあった。

 中曽根は、極めて積極的に、日本への原子力発電導入を推進した。その評価は〔9.11大震災・大津波・原子力発電所事故〕で揺れているが、それが善であったか悪であったか、未来の歴史しか証明することはできない。


〔中村修二〕

 中村修二は、日本の愛媛県西宇和郡出身であるが、後にアメリカ国籍を取得しアメリカ人となった技術者であり電子工学者である。2014年度、赤崎勇・天野浩とともに、ノーベル物理学賞受賞した。

 日亜化学工業在籍時に、高輝度青色発光ダイオードの製造方法を発明・開発し、世界で初めて実用化に成功した。青色発光ダイオードは、赤崎勇・天野浩らの研究において基本技術が発明されたが、実用化には中村の技術が必要だった。2007年には、世界初となる無極性青紫半導体レーザーの開発に成功している。


〔中谷宇吉郎〕

 中谷宇吉郎は、石川県江沼郡片山津町出身の物理学者であり随筆家である。大正11年(1922年)、東京帝国大学理学部物理学科に入学し寺田寅彦に教えを受ける。卒業後、理化学研究所で寺田研究室の助手となる。北海道帝国大学理学部教授、北海道大学理学部教授などを歴任した。

 昭和7年(1932年)、雪の研究を始めて、昭和11年には、世界で初めて、大学の低温実験室で人工雪の製作に成功した。こうして、気象条件と結晶が形成されるメカニズムの解明を行った。著書に『冬の華』『立春の卵』などがある。


〔長岡半太郎〕

 長岡半太郎は、慶応元年(1865年)生まれで長崎県大村市出身の物理学者である。明治15年(1882年)、東京大学理学部に進学し、教授山川健次郎や助教授田中舘愛橘、イギリス人教師ノットに学んだ。その後、大学院に進み、更に助教授に就任した。ドイツに留学し帰国後、教授に就任し多くの弟子たちを育てた。

 長岡は、原子核の周囲には数百~数千個の電子が、まるで土星の周囲を回る多くの衛星のようだと考える〔土星型原子モデル〕を提唱した。


〔南部陽一郎〕

 南部陽一郎は、明治54年(1921年)、福井県福井市出身で、1970年にアメリカに帰化した日系アメリカ人理論物理学者である。専門は素粒子理論で東京大学で理学博士を取得している。シカゴ大学名誉教授、大阪市立大学名誉教授、立命館アジア太平洋大学アカデミック・アドバイザーであり、

 1960年代に量子色力学と自発的対称性の破れに関して先駆的研究を行った。また、弦理論の創始者の一人であり、宇宙誕生の謎解きを試みる現代最先端の理論物理学の基礎となる貢献をした。


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