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〔の〕で始まる日本の偉人

乃木希典 野依良治
野口英世 野村胡堂

〔日本の偉人〕

〔の〕で始まる日本の偉人

 

 〔の〕で始まる日本の偉人はそれほど多くはなく、当サイトで認識している偉人は、次の4名だけです。

 ・乃木希典
 ・野依良治
 ・野口英世
 ・野村胡堂


 野口英世は、福島県生まれの日本の細菌学者で、細菌学の研究に従事し黄熱病や梅毒等の研究で知られています。

 ノーベル生理学・医学賞に三度ノミネートされたが、黄熱病の研究中に罹患し、アフリカのガーナで死去しました。



 乃木希典は、日本の武士・長府藩士で軍人であり陸軍大臣を務めた。「乃木大将」「乃木将軍」などと呼称される。

 野依良治は、専門分野は有機化学とする日本の化学者、工学博士であり、2001年に「キラル触媒による不斉反応の研究」によりノーベル化学賞を受賞した。

 野村胡堂は、日本の小説家で作家・音楽評論家でもあり、『銭形平次捕物控』の作者として知られる。捕物ものの他、少年少女向けの小説も多数執筆している。


〔の〕で始まる偉人概要

〔乃木希典〕

 乃木希典は、日本の武士、長府藩士であり軍人、教育者である。軍人の階級としては陸軍大将であったため「乃木大将」または「乃木将軍」などと呼ばれることも多い。

 出雲源氏佐々木氏の子孫と称し源希典との署名もよく用いた。

 乃木は日清戦争に出征したが、乃木率いる歩兵第1旅団は、破頭山、金州、産国及び和尚島において戦い旅順要塞をわずか1日で陥落させた。

 乃木は、日露戦争でも戦ったが、中でも203高地の攻略、旅順要塞の陥落には多大な犠牲を伴った。乃木は長男、次男の二名を戦死させ、長い戦いの末ようやく旅順要塞は陥落した。

 旅順要塞陥落後、乃木は要塞司令官ステッセリと会見した、いわゆる水師営の会見である。

 明治天皇は山縣有朋を通じ、乃木に対しステッセリが祖国のために頑張ったことを讃え、武人としての名誉を与えることを指示した。乃木はステッセリを極めて紳士的に扱い世界から賞賛を浴びた。


〔野依良治〕

 野依良治は、日本の化学者である。専門分野は有機化学で、学位は工学博士である。2001年に「キラル触媒による不斉反応の研究」によりノーベル化学賞を受賞している。

 独立行政法人理化学研究所理事長、名古屋大学特別教授、名城大学客員教授、高砂香料工業株式会社取締役。名古屋大学大学院理学研究科研究科長、理学部学部長、物質科学国際研究センターセンター長などを歴任した。


〔野口英世〕

 野口英世は、福島県出身の細菌学者である。現在の日本医科大学修了後、ペンシルベニア大学医学部を経てロックフェラー医学研究所研究員となった。主に細菌学の研究に専念し黄熱病や梅毒等の研究で知られる。黄熱病の研究中に自身も罹患していしまいガーナのアクラ死去した。51歳であった。

ノーベル生理学・医学賞に三度ノミネートされるも黄熱病の研究中に罹患し他界したてめ受賞実現はしなかった。


〔野村胡堂〕

 野村胡堂は、岩手県紫波郡彦部村の農家の次男として生まれた小説家である。また、作家、音楽評論家でもある。小学校時代より『絵本太閤記』や『水滸伝』を熱心に読んだという。

 1896年に盛岡中学校に入学するが同窓生に金田一京助がいて、付き合いは一生涯続いた。下級生にいた石川啄木には俳句や短歌の手ほどきをしたとされる。

 1931年、『文藝春秋オール讀物號』創刊号に捕物帳の執筆を依頼され『金色の処女』を発表した。銭形平次が主人公であり、『銭形平次捕物控』の第1作目となった。これはその後も1957年まで26年間連載され、長編・短編あわせて383編を数えた。


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