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〔あ〕で始まる日本の偉人

足利尊氏

(あしかが たかうじ)  

 足利尊氏は、鎌倉時代後期から南北朝時代の武将である。室町幕府の初代征夷大将軍で足利将軍家の祖である。

 元弘3年(1333年)、後醍醐天皇が伯耆船上山で挙兵の際、鎌倉幕府軍を率いてその鎮圧のため上洛したが、幕府への反乱を起こし、六波羅探題を滅ぼし、鎌倉幕府を滅亡させた。

 その後、中先代の乱を鎮圧し鎌倉で独自政権樹立を目指したが、天皇との関係が悪化し、いったんは九州へ没落する。しかし、再び上洛し京都を制圧した。そして、光明天皇を擁立して征夷大将軍に補任され新たな武家政権、室町幕府を開いた。



 足利尊氏は、足利貞氏の次男として生まれる。当初は高氏(たかうじ)と名乗っていた。

 元弘3年(1333年)、後醍醐天皇が伯耆船上山で挙兵の際、鎌倉幕府軍を率いてその鎮圧のため上洛したが、幕府への反乱を起こし、六波羅探題を滅ぼし、鎌倉幕府を滅亡させた。

 幕府滅亡の勲功第一とされ、後醍醐天皇の諱・尊治(たかはる)のひと文字をいただき、「高氏」の名を「尊氏」に改める。


 後醍醐天皇の独裁体制である、建武の新政が急速に失墜する中、鎌倉方の残党による中先代の乱で苦境に立つ弟・足利直義救援のため乱を鎮圧するが、その後も鎌倉に留まり、天皇との関係が悪化する。

 尊氏は上洛して一時は天皇を比叡山へ追いやったものの、天皇側の反撃により、九州に都落ちする。しかし、再び太宰府天満宮を拠点に上洛、京都を制圧し光明天皇を擁立して征夷大将軍となり、新たな武家政権、室町幕府を開く。

 後醍醐天皇は捕虜となるが、吉野に脱出し南朝を創始することとなる。室町幕府を開いてしばらくの間は、弟・足利直義と二頭政治を行う。しかし、やがて対立し観応の擾乱と呼ばれる内部抗争を引き起こすが、直義の死により乱は終息する。


偉人のプロフィール

〔足利尊氏〕のプロフィール。

〔足利尊氏〕

足利尊氏の写真 
(出典:wikipedia)

プロフィール
通称 足利 尊氏(あしかが たかうじ)
本名 足利 尊氏(あしかが たかうじ)
別名

〔改名〕:又太郎(幼名)、高氏→尊氏
〔戒名〕:等持院殿仁山妙義大居士長寿寺殿

称号 〔官位〕:従五位上、鎮守府将軍、従四位下、左兵衛督、従三位、武蔵守、正三位、参議、征東将軍、従二位、権大納言、征夷大将軍、正二位、贈従一位、贈左大臣、贈太政大臣
時代 鎌倉時代末期~室町時代初期
生誕

嘉元3年7月27日(1305年8月18日)
〔墓所〕:京都府京都市北区萬年山等持院

死没 正平13年/延文3年4月30日(1358年6月7日)
〔戒名〕:等持院殿仁山妙義大居士長寿寺殿
〔墓所〕:
 ・京都府京都市北区萬年山等持院
 ・神奈川県鎌倉市寶亀山長寿寺
国籍 日本国
言語 日本語
居住地
学歴
職業 武将・室町幕府の初代征夷大将軍・足利将軍家の祖。
分野
所属 〔幕府〕:室町幕府初代征夷大将軍(在任:1338年 - 1358年)
〔氏族〕:足利氏(足利将軍家)
業績
作品
名言 〔足利尊氏の名言〕

・他人の悪をよく見る者は、己が悪これを見ず。

・良し悪しと 人をば言ひて たれもみな わが心をや 知らぬならん。

・文武両道は車輪のごとし。一輪欠ければ人を渡さず。

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