通称 |
明智 光秀(あけち みつひで) |
本名 |
明智 光秀(あけち みつひで) |
別名 |
〔改名〕:幼名:彦太郎、明智光秀→惟任光秀
〔別名〕:通称:十兵衛、惟任日向守
〔号〕:咲庵
〔渾名〕:キンカ頭、キンク天顋、三日天下様
|
称号 |
〔官位〕:従五位下日向守
|
時代 |
戦国時代~安土桃山時代 |
生誕 |
享禄元年(1528年)(異説もあり) |
死没 |
天正10年6月13日(1582年7月2日)
〔戒名〕
秀岳院宗光禅定門
前日洲条鉄光秀居士
長存寺殿明窓玄智大禅定門
〔墓所〕
谷性寺(京都府亀岡市)
西教寺(滋賀県大津市)
高野山奥の院(和歌山県伊都郡高野町)
|
国籍 |
日本国 |
言語 |
日本語 |
居住地 |
|
学歴 |
|
職業 |
〔職業〕
・
|
分野 |
|
所属 |
〔主君〕:
斎藤道三→朝倉義景→足利義昭→織田信長
もしくは、足利義輝→足利義昭→織田信長
〔氏族〕:源姓土岐氏流明智氏(惟任賜姓)
|
業績 |
|
作品 |
|
名言 |
〔明智光秀の名言〕
・敵は本能寺にあり。
・仏の嘘をば方便といい、武士の嘘をば武略という。これをみれば、土地百姓は可愛いことなり。
・鳴かぬなら 私が泣こう ほととぎす。
・あの人物は俺の重臣だが、昔父の領内で農夫をしていた。それを父が登用してまず足軽にした。おそらく、あの時の恩を忘れず、農民だった初心で父の霊を弔っているのだ。武士はすべてああありたい。笑うお前達は馬鹿。
・自分は石ころのような身分から信長様にお引き立て頂き、過分の御恩を頂いた。一族家臣は子孫に至るまで信長様への御奉公を忘れてはならない。
・順逆二門に無し 大道心源に徹す。五十五年の夢 覚め来れば 一元に帰す。心しらぬ 人は何とも言はばいへ 身をも惜まじ 名をも惜まじ。
・時は今、天が下知る五月哉。
・いざ、お前を50日のうちに輿に乗せる身分にしてみせる。
・たとえ天下をとったとしても、妾は持たぬ。
・自分は他の誰でもない、煕子殿を妻にと決めている。
|
サイト |
|
その他 |
明智光秀は、領地で善政を行ったとされ、光秀を祭神として忌日に祭事を伝える地域もある。
その数奇な運命から、江戸時代の文楽や近年の小説、テレビ、映画などでもさまざまな形でとりあげられている。
|