浅井長政は、戦国時代から安土桃山時代にかけての日本の武将である。 北近江の戦国大名として浅井氏を成長させ、妻の兄である織田信長と同盟を結び浅井氏全盛期を築いたが、後に織田信長と決裂し戦い、戦に敗れて自害して果てた。浅井家3代目にして最後の当主となった。
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浅井長政は、父・浅井久政から16歳で家督を継ぎ、23歳で織田信長の妹・お市と結婚する。 美濃を平定し勢力拡大を続ける信長との間で、「朝倉への不戦の誓い」により同盟を結んだが、信長がこの約束を破ったことで、関係が悪化する。
長政は朝倉義景との同盟を重んじた結果、織田徳川軍を背後から衝くという「金ヶ崎の戦い」で信長を追い詰め、信長にとっては最大の危機といわれた撤退戦で仕留めることに失敗する。 形勢は逆転し、浅井・朝倉連合軍は、「姉川の戦い」で織田・徳川軍に大敗してしまう。長政は、小谷城で自害して果てる。
◆〔浅井長政〕のプロフィール。
猿夜叉丸(幼名)、賢政、長政、新九郎、備前守(通称)
天文14年(1545年)
天正元年9月1日(1573年9月26日) 〔戒名〕:養源院天英宗清 〔墓所〕:滋賀県長浜市徳勝寺
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将 北近江の戦国大名 浅井三姉妹の父
・けふもまた 尋ね入りなむ 山里の 花に一夜の 宿はなくとも。 ・今度御父親御討死、中々申ばかりも御入候はず候。御心中をしはかり候べき候。 「今度(こたび)御父親御討死、中々申(もうす)ばかりも御入候(おんいりそうら)はず候。御心中をしはかり候べき候」 大意:お父様が討死されたことに言葉もありません。心中お察し申し上げます。