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〔日本の偉人〕

佐久間象山 (さくま しょうざん/ぞうざん)

 

 佐久間象山は、江戸時代後期の松代藩の下級武士出身の兵学者・朱子学者・思想家である。若年期に経学と数学を熱心に学んだとされ、これが彼の洋学吸収に大きく益したとされる。

 天保4(1833)年、江戸に出て儒学の第一人者・佐藤一斎に師事して、詩文・朱子学を学び、山田方谷と共に〔二傑〕と称されるにほどになる。天保10(1839)年、江戸で私塾〔象山書院〕を開き儒学を教えていたが、象山が仕える松代藩主が海防掛になったことで、兵学を学ぶことになった。

 象山は、西洋兵学を習得し『海防八策』を献上、大砲の鋳造にも成功して名を挙げた。しかし、嘉永7(1854)年、再来航したペリー艦隊に門弟の吉田松陰が密航を企て失敗した際、連座して入獄、更に蟄居することとなる。

 10年後、一橋慶喜に招かれて上洛し、慶喜に公武合体論と開国論を説いたが、尊王攘夷派の志士により暗殺される。




偉人のプロフィール

〔佐久間象山〕のプロフィール。

〔佐久間象山〕

佐久間象山の肖像・写真 
(出典:wikipedia)

プロフィール
通称 佐久間 象山(さくま しょうざん/ぞうざん)
本名 佐久間 象山(さくま しょうざん/ぞうざん)
別名

〔別名〕受領名:修理(しゅり)
〔諱〕国忠(くにただ)→のちに啓(ひらき)
〔字〕子迪(してき)→後に子明(しめい)
〔号〕象山、子迪、子明
・松代三山の一人

称号 〔官位〕贈正四位

時代 江戸時代後期
生誕

〔生誕〕文化8年2月28日(1811年3月22日)
〔生誕地〕信濃埴科郡松代字浦町

死没 〔死没〕元治元年7月11日(1864年8月12日)(享年54歳没)
〔死没地〕京都三条木屋町(暗殺)
〔墓所〕蓮乗寺
国籍 日本国
言語 日本語
居住地
学歴
職業 〔職業〕
・江戸時代後期の松代藩士
・兵学者
・朱子学者
・思想家

分野 〔ジャンル〕
・兵法学
・朱子学者

所属 〔藩〕信濃国松代藩士
〔主君〕真田幸貫
〔氏族〕佐久間氏

業績 ・佐久間象山は、信濃松代藩の下級武士の子として生まれ、江戸に出て佐藤一斎に朱子学を学び、江戸神田に象山書院を興す。

 アヘン戦争の報により対外的危機に目ざめ、江川太郎左衛門に入門して砲術を学ぶ。砲術教授の塾を開き、勝海舟、吉田松陰、坂本竜馬、加藤弘之らを指導する。

 松代藩主の真田幸貫が老中に抜擢されると,象山は海防顧問となり「海防八策」を提出する。

 ペリー来航に際して、1854年、吉田松陰が密航事件を起こすが、これに連座して閉居を命じられた。洋書をむさぼり読む。

 1863年、1863年赦免され、幕府に招かれて開国論を進言する。翌年、幕命により上洛し、公武合体・開国進取を説き、開国論を唱えたが、京都三条木屋町において、攘夷派の河上彦斎に襲われ暗殺された。

作品 〔著作〕
 『省?録(せいけんろく)』

受賞歴
名言 〔佐久間象山の名言〕

・学問は日々積み重ねられなければならない。一朝一夕で成るものではないことを肝に銘じるべし。

・人は生まれてから最初の10年は己のことだけを考える。そして、次の10年は家族のことを考える。20歳になってからの10年は生まれた故郷のことを考える。30歳になったら日本のことを考えて、40歳になったら世界のことを考えるようになる。

・宇宙に実理は二つなし。この理あるところ、天地もこれに異なる能わず。鬼神もこれに異なる能わず。百世の聖人もこれに異なる能わず。近来西洋人の発明する所の許多の学術は、要するに皆実理にして、まさに以って我が聖学を資くる足る。

・天下の大計を知らず、国の財用を費やし、以てこの無益の務をなすは、そもそも何ぞや。

・書を読んで知識をため込むだけでは駄目である。実際にやってみなければ役に立たない。それがサイエンスだ。

・好奇心があるから学び、そしてチャレンジするから成果が生まれるのだ。失敗するから成功がある。

・政治とは人で決まるものなのです。その才を有するものが一人おりますれば、一国の政治は一気に好転いたしましょう。

・人々が何を言おうと、怖じることなく、心中はいつもやすらかです。これも今までの修行の成果でありましょう。

・兵は国の大事、死生存亡のかかる所である。成算なくしてみだりに兵を動かす者は、国家と国民の生命をあまりに軽く考えている。

・若しそれ、後の人我名を呼ぶなば、まさに知るべし。象は所蔵の反にして、山は参なりと。

サイト
その他 ・佐久間象山は、象山神社の祭神、象山神社の隣が生家で、長野県の史跡に指定されている。