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〔佐藤ハチロー〕

 

 サトウハチローは、東京府東京市牛込区市谷薬王寺前町出身の日本の詩人・童謡作詞家・作家である。戦後一世を風靡した『リンゴの唄』の作詞者としてよく知られている。

 無数の抒情的作風の詩が多く、中でも母親への思慕の詩を多く残したが、実生活ではいわゆる不良少年で、放蕩生活、奇行が多かったという。野球少年だったことで高校野球やプロ野球に造詣が深い。父親とはそりが悪く、中学時代は、落第や勘当、留置場入りをしたという。

 後に、西條八十に弟子入りして童謡を作り始め、数々の雑誌や読売新聞などに掲載されるようになる。戦後初めての映画『そよかぜ』の挿入歌として『リンゴの唄』を作詞し、並木路子が歌って一世を風靡した。



偉人のプロフィール

〔サトウハチロー〕のプロフィール。

〔サトウハチロー〕

サトウハチロウの肖像・写真 
(出典:wikipedia)

プロフィール
通称 サトウ ハチロー
本名 佐藤 八郎(さとう はちろう)
別名

〔別名〕(多数)
・陸奥速男 ・山野三郎 ・玉川映二  ・星野貞志
・清水操六 ・清水士郎 ・並木せんざ ・清水洋一郎
・江川真夫 ・熱田房夫 ・倉仲佳人  ・倉仲房雄

称号

〔称号〕
・紫綬褒章受章
・勲三等瑞宝章

時代

明治時代・大正時代・昭和時代

生誕

〔生誕〕1903年(明治36年)5月23日
〔生誕地〕東京府東京市牛込区市谷薬王寺前町(現在の東京都新宿区市谷薬王寺町)

死没

〔死没〕1973年(昭和48年)11月13日(70歳没)
〔死没地〕東京都中央区明石町
〔墓所〕雑司ヶ谷霊園

国籍 日本国
言語 日本語
居住地

学歴

〔学歴〕
・旧制早稲田中学校(現早稲田中学校・高等学校)中退

職業

〔職業〕
・詩人
・童謡作詞家
・歌謡曲作詞家
・作家

〔活動期間〕1919年 - 1973年

分野

〔ジャンル〕
・歌曲(作詞)
 ・童謡
 ・歌謡曲
 ・校歌
・詩集
・随筆
・小説
 ・小説
 ・少年少女小説
 ・ユーモア小説

所属

・同人誌『文党』
・同人誌『銅鑼』
・日本コロムビア専属

・日本作詩家協会会長
・日本童謡協会会長
・日本音楽著作権協会会長

業績

・戦後日本で一世を風靡した「リンゴの唄」の作詞者として知られる。

・童謡や歌謡曲をはじめ、多くの曲の詩を書いた。

・「木曜会」を主宰、月刊誌『木曜手帖』を出した。門下から吉岡治、宮中雲子、名取和彦、若谷和子、安藤晃子、宮田滋子など多くの詩人を輩出した。

作品

〔童謡(作詞)〕
 『秋の子』
 『お山の杉の子』
 『ちいさい秋みつけた』
 『かわいいかくれんぼ』
 『うれしいひなまつり』
 『めんこい仔馬』
 『スカンクカンクプー』
 『子狸ポポンコの話』
 『アイウエオの歌』
 『カブトガニの唄』

〔歌謡曲(作詞)〕
 『リンゴの唄』
 『麗人の唄』
 『二人は若い』
 『あゝそれなのに』
 『うちの女房にゃ髭がある』
 『花売り娘』
 『ホームラン・ブギ』
 『目ン無い千鳥』
 『誰かさんと誰かさん』
 『勝利の日まで』
 『祖国の花』
 『ずずんとずずんと』
 『黒いパイプ』
 『夢淡き東京』
 『浅草の唄』
 『長崎の鐘』
 『エンゼルはいつでも』
 『ドラゴンズの歌』
 『グラスをのぞくフラミンゴ』
 『悲しくてやりきれない』
 『泣いて泣いて』
 『ありがとう』
 『ほんとかしらほんとかしら』
 『わが母の姿は』
 『明日を祈る』
 『なんでこんなに』

〔詩集〕
 『爪色の雨』
 『いとしき泣きぼくろ』
 『僕等の詩集』
 『少年詩集』
 『少年詩歌集(編著)』
 『好きな人のうた』
 『友だちの歌』
 『おかあさん』
 『タムタム・ナムナム』
 『生活の唄』
 『美しきためいき』
 『あすは君たちのもの』
 『愛を唄うそ』
 『たっけだっけの歌』
 『もずが枯木で』
 『まっすぐに愛して』
 『悲しくもやさしくも』
 『おかあさんその後の花束』
 『ある日のうた』
 『母を唄う』

〔校歌〕(多数、省略)

〔随筆〕(省略)

〔少年少女小説〕(省略)

〔ユーモア小説〕(省略)

受賞歴

〔主な受賞歴〕
・第4回芸術選奨文部大臣賞を受賞
・レコード大賞童謡賞を受賞
・NHK放送文化賞受賞
・紫綬褒章受章
・勲三等瑞宝章

名言

〔サトウハチローの名言〕

・母という字を書いてごらんなさい
 やさしいように見えてむずかしい字です
 恰好のとれない字です
 やせすぎたり 太りすぎたり ゆがんだり
 泣きくづれたり・・・・
 笑ってしまったり
 お母さんにはないしょですが ほんとうです

・一人より
  二人
   これを これを
    忘れたもうな

・頭のいい、勉強のできるヤツは、授業をわざわざ聞きに学校に行かない。だから落第する。スンナリ進級するヤツはバカで勉強のできないヤツばかりだから、学校に行かざるを得ない。

〔余談〕

 サトウハチローは19歳のとき、父親の勧めで最初の結婚をする。ハチローの最初の妻は「佐藤くら」といい、父親の再婚相手で女優の三笠万里子の付き人だった。

 実は、ハチローは結婚したからといって、おとなしく家庭をきずくような、まともな人間ではなく、いわゆる不良あがりのとんでも青年だったので、放蕩生活を繰り返していた。

 ハチローは、女優の歌川るり子や江川蘭子と同時並行的に恋仲になり、世間でも公然の秘密となっていた。そんなとき、都新聞が「蘭子は憂鬱」という見出しの記事を掲載する。

 そこには、沈んだ表情の蘭子の写真が掲載され、「ハチローがるり子と新しい所帯を持ったため、蘭子が憂鬱に」と伝えていた。

 この記事を見てしまった妻、佐藤くらは、見事な名言を放ったのだった。

 「私という本妻がいるのに」

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