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〔日本の偉人〕

〔さ〕で始まる日本の偉人

真田幸村/真田信繁

(さなだ ゆきむら/さなだ のぶしげ)



 真田幸村は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将である。真田昌幸の次男で、実名は真田信繁である。

 幸村は戦国乱世時代の最後を飾る英雄として知られ、大阪夏の陣では3500人の兵を引き連れて徳川家康の本陣まで攻め込み家康を苦しめた。

 その後、史実を基にして、多くの物語が創作され、真田十勇士を従えて奮戦する英雄的武将・真田幸村として広く知られるようになった。



偉人のプロフィール

〔真田幸村〕のプロフィール。

〔真田幸村〕

真田幸村の肖像・写真 
(出典:wikipedia)

プロフィール
通称 〔通称〕
・真田 幸村(さなだ ゆきむら)

本名 〔本名〕
・真田 信繁(さなだ のぶしげ)

別名 〔通称〕源二郎/源次郎、左衛門佐
〔諱〕信繁
〔改名〕弁丸/お弁丸(幼名)、信繁
〔別名〕幸村、豊臣信繁
〔道号〕好白斎
〔法名〕好白
〔偽名〕伝心月叟

受賞歴
時代 〔時代〕
・戦国時代~江戸時代初期

生誕 〔生誕〕 ・永禄10年(1567年)
・または元亀元年2月2日(1570年3月8日)

〔生誕地〕

死没 〔死没〕慶長20年5月7日(1615年6月3日)
〔死没地〕大坂城真田丸戦死
〔戒名〕大光院殿月山傳心大居士
〔墓所〕
・龍安寺塔頭大珠院(京都府京都市)
・妙心寺塔頭養徳院(京都府京都市)
・田村家墓所(宮城県白石市)
・長国寺(長野県長野市)
・孝顕寺(福井県福井市)
・妙慶寺(秋田県由利本荘市)
・心眼寺(大阪府大阪市)

国籍 日本国
言語 日本語
居住地 〔居住〕
・九度山

学歴
職業 〔職業〕
・安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将
・大名

分野 〔分野〕
・戦国大名
・戦国武将

所属 〔主君〕
・武田勝頼
・豊臣秀吉
・豊臣秀頼

業績 ・真田幸村は、豊臣方の武将として大坂冬の陣、大坂夏の陣において勇敢に戦った。

・大坂夏の陣において、徳川家康の本陣まで攻め込んだ勇敢な武将として知られ、江戸幕府や諸大名家の各史料では「日本一の兵(ひのもといちのつわもの)」と評されている。

作品
受賞歴
名言 〔真田幸村の名言〕

・恩義を忘れ、私欲を貪り、人と呼べるか。

・人の死すべき時至らば、潔く身を失いてこそ、勇士の本意なるべし。

・十万石では不忠者にならぬが、一国では不忠者になるとお思いか。

・いざとなれば損得を度外視できるその性根、世の中に、それを持つ人間ほど怖い相手はない。

・関東勢百万も候へ、男は一人もなく候。

・定めなき浮世にて候へば、一日先は知らざる事に候。我々事などは浮世にあるものとは、おぼしめし候まじく候。

・部下ほど難しい存在はない。

・夢をつかんだ奴より、夢を追っている奴の方が、時に力を発揮する。

・今はこれで戦は終わり也。あとは快く戦うべし。狙うは徳川家康の首ただひとつのみ。

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