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〔日本の偉人〕

坂口安吾 (さかぐち あんご)

 

 坂口安吾は、新潟県新潟市出身で東洋大学印度哲学倫理学科卒業の小説家・評論家・随筆家である。純文学のほか歴史小説や推理小説なども書いている。随筆では時代風俗や古代の歴史におよぶような作品も多く残している。

 戦前から文壇に登場していたが、戦後になって著わした『堕落論』『白痴』により無頼派・新戯作派の作家として一世を風靡した。

 新潟市の海岸に坂口安吾の碑があり、碑文には『ふるさとは 語ることなし 安吾』と彫られている。




偉人のプロフィール

〔坂口安吾〕のプロフィール。

〔坂口安吾〕

坂口安吾の肖像・写真 
(出典:VOTECLOUD)

プロフィール
通称 〔通称〕
・坂口 安吾(さかぐち あんご)

本名 〔本名〕
・坂口 炳五(さかぐち へいご)

別名
受賞歴
時代
生誕 〔生誕〕1906年(明治39年)10月20日
〔生誕地〕新潟県新潟市出身

死没 〔死没〕1955年(昭和30年)2月17日)(48歳没)
〔死没地〕群馬県桐生市本町2丁目266番地
〔墓所〕新潟県新津市大安寺(現・新潟市秋葉区大安寺)

国籍 日本国
言語 日本語
居住地
学歴 〔学歴〕
・東洋大学印度哲学倫理学科第二科卒業
・学士(哲学)
・アテネ・フランセでフランス語習得

職業 〔職業〕
・小説家
・評論家
・随筆家

〔活動期間〕1931年 - 1955年

分野 〔ジャンル〕
・純文学
・歴史小説
・推理小説
・随筆

〔主題〕
・ファルス
・行雲流水
・大悟徹底
・絶対の孤独
・偉大なる落伍者
・歴史探訪

所属
業績 〔業績〕
・昭和の戦前・戦後にかけて活躍した近現代日本文学を代表する作家の一人である。

・戦前はファルス的ナンセンス作品『風博士』で文壇に注目された。

・終戦直後には『堕落論』『白痴』を発表し時代の寵児となり、太宰治、織田作之助、石川淳らと共に、無頼派・新戯作派と呼ばれた。

・歴史小説では黒田如水を主人公とした『二流の人』、推理小説では『不連続殺人事件』が注目された。

作品 〔代表作〕
 『風博士』
 『堕落論』
 『白痴』
 『桜の森の満開の下』
 『二流の人』
 『不連続殺人事件』

・文芸や時代風俗から古代歴史まで広範に材を採る随筆など多彩な活動をした。

〔推理小説〕
(巨勢博士)
 『連続殺人事件』
 『復員殺人事件』
 『選挙殺人事件』
 『正午の殺人』

(結城新十郎)
 『明治開化 安吾捕物帖』

(ノンシリーズ)
 『投手殺人事件』
 『孤立殺人事件』
 『屋根裏の犯人』
 『南京虫殺人事件』
 『山の神殺人』
 『影のない犯人』
 『心霊殺人事件』
 『能面の秘密』

〔歴史小説〕
 『黒田如水』
 『島原の乱雑記』
 『道鏡』
 『家康』
 『二流の人』
 『織田信長(未完)』
 『信長』
 『梟雄』
 『真書太閤記』

〔その他小説・自伝〕
・非常に多数あるが、ここでは省略

〔評論・随筆〕
・非常に多数あるが、ここでは省略

受賞歴 〔主な受賞歴〕
・探偵作家クラブ賞(1948年)
・文藝春秋読者賞(1950年)

名言 〔坂口安吾の名言〕

・余は偉大なる落伍者となっていつの日か歴史の中によみがえるであろう。

・恋愛とは所詮幻影であり、永遠の恋などは嘘の骨頂だとわかっていても、それをするな、といい得ない性質のものである。それをしなければ人生自体がなくなるようなものなのだから。つまりは、人間は死ぬ、どうせ死ぬものなら早く死んでしまえということが成り立たないのと同じだ。

・あらゆる自由が許された時に、人ははじめて自らの限定とその不自由さに気づくであろう。

・いのちの代償が計算はずれの安値では信念に死んでも馬鹿な話で、人々は十銭の茄子を値切るのにヒステリイは起こさないのに、命の取引に限ってヒステリイを起こしてわけもなく破産を急ぐというは決して立派なことではないだろう。

・いのちを人にささげる者を詩人という。唄う必要はないのである。

・こんな女に誰がした、という無自覚、無責任な魂は、反抗などすべきではなく、どこまでも、こんな女にされていくのがよろしいのである。

・すぐれた魂ほど、大きく悩む。

・すべて娯楽教養に類するものは、教養の不足に罪のあるのを忘れて、娯楽自体を禁止しようとする暴力的な弾圧を最もつつしむ必要がある。

・プラトニック・ラブと称して、精神的恋愛を高尚だというのも妙だが、肉体は軽蔑しないほうがいい。

・ほんとの幸福というものはこの世にないかも知れないが、多少の幸福はきっとある。

・まったくお寺の本堂のような大きなガランドウに、一枚のウスベリも見当たらない。大切な一時間一時間を、ただなんとなく迎へ入れて送りだしてゐる。実の乏しい毎日であり、一生である。土足のままスッとはいりこまれて、そのままズッと出ていかれても、文句のいいやうもない。どこにもくぎりのないのだ。ここにて下駄をぬぐべしといふやうな制札が、まつたくどこにもないのである。

・めいめいが各自の独自な、そして誠実な生活を求めることが人生の目的でなくて、他の何物が人生の目的だろうか。私はただ、私自身として生きたいだけだ。

・技術は理窟では習得しがたく、又律しがたいものである。

・強制せられたる結果とは云え、凡人も亦かかる崇高な偉業を成就しうるということは、大きな希望ではないか。大いなる光ではないか。

・狂的な信仰を以て次から次へ堂々と死んで行った夥しい殉教者達が、然し、僕には時に無益なヒステリイ的な饒舌のみを感じ、不快を覚えることがあったのだ。

・苦しめ、そして、苦しむのだ。それが人間の当然の生活なのだから。

・芸術は、自然に勝らなければならないものだ。

・見たところのスマートさだけでは、真に美なる物とはなり得ない。すべては、実質の問題だ。美しさのための美しさは素直でなく、結局、本物の物ではないのである。要するに、空虚なのだ。

・見るからに醜悪で、てんで美しくはないのだが、人の悲願と結びつくとき、まっとうに胸をうつものがある。

・元々、愛玩用につくりあげられた存在に極まっているが、子供を条件にして子供の美徳がないのである。羞恥がなければ、子供はゼロだ。子供にして子供にあらざる以上、大小兼ねた中間的な色っぽさが有るかというと、それもない。

・元来、共産主義の如くに、理想を知って、現実を知らず、その自らの反現実性に批判精神の欠如せるものは、専制、ファッショの徒にほかならぬである。

・原子バクダンを発見するのは、学問じゃないのです。子供の遊びです。これをコントロールし、適度に利用し、戦争などせず、平和な秩序を考え、そういう限度を発見するのが、学問なんです。 自殺は、学問じゃないよ。子供の遊びです。はじめから、まず、限度を知っていることが、必要なのだ。

・個人の自由がなければ、人生はゼロに等しい。何事も、人に押し付けてははならないのだ。

・古いもの退屈なものは滅びるか生まれ変わるのが当然だ。

・孤独は、人のふるさとだ。恋愛は、人生の花であります。いかに退屈であろうとも、この外に花はない。

・残虐なのは戦争自体であって、原子爆弾には限らない。戦争と切り離して原子爆弾一つの残虐性を云々するのが不思議ではないか。

・私は、ねむるようにして、いつでも死ねる。ねむることと、死ぬこととが、もう実際にケジメが見えなくなってしまった。

・私は、闘う、という言葉が許されてよい場合は、ただ一つしかないと信じている。それは、自由の確立、の場合である。固より、自由にも限度がある。自由の確立と、正しい限界の発見のために、各々が各々の時代に於いて、努力と工夫を払わねばならないのだ。歴史的な全人類のためにではなく、生きつつある自分のために、又、自分と共に生きつつある他人のために。

・私は弱者よりも強者を選ぶ。積極的な生き方を選ぶ。

・寺があって、後に、坊主があるのではなく、坊主があって、寺があるのだ。寺が無くとも、良寛は存在する。若し、我々に仏教が必要ならば、それは坊主が必要なので、寺が必要なのではないのである。京都や奈良の古い寺がみんな焼けても、日本の伝統じゃ微動もしない。

・時間というものを、無限と見ては、いけないのである。そんあ大げさな、子供の夢みたいなことを、本気に考えてはいけない。時間というものは、生まれてから、死ぬまでの間です。

・自然にまさろうとは、俗悪千万な。万人はそれを諦めるが、少数のミイラだけが諦めない。異様な願望だ。

・自分の身体のどんな小さなもの、一本の髪の毛でも眉毛でも、僕らに分からぬ「いのち」が女の人には感じられるのではあるまいか。

・自分よりもお堂の方が立派だということを、ミイラどもは告白しているのである。彼らは人を見下していたが、いつも人に負けていた。そして、ほかの人には造れない大きなお堂をつくらないと、安心できなかった。

・失敗せざる魂、苦悩せざる魂、そしてより良きものを求めざる魂に真実の魅力は少ない。

・終戦後、我々はあらゆる自由を許されたが、人はあらゆる自由を許されたとき、自らの不可解な限定とその不自由さに気づくであろう。人間は永遠に自由では有り得ない。

・女の人は秘密が多い。男が何の秘密も意識せず過ごしている同じ生活の中に、女の人は色々の微妙な秘密を見つけ出して生活しているものである。

・職業というものは尊いものだ。なぜなら、そこにその人の一生が賭けられ、生活が賭けられているからだ。金銭もかけられている。だから尊いので、金銭のかからないものは尊くない。

・親がなくとも、子が育つ、ウソです。親があっても、子が育つんだ。

・人間というものはベラボーなオプチミストでトンチンカンなわけのわからないもの。

・人間の、また人生の正しい姿とは何ぞや。欲するところを素直に欲し、いやな物はいやだと言う、要はそれだけのことだ。好きなものを好きだという、好きな女を好きだと言う。

・人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。人間は可憐であり、脆弱であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。

・人間の尊さは自分を苦しめるところにあるのさ。満足はだれでも好むよ。けだものでもね。

・人間は生きることが、全部である。死ねば、なくなる。

・人生の疲労は年齢には関係がない。

・政治が民衆を扱うとすれば文学は人間を扱う。

・生きることだけが、大事である、ということ。たったこれだけのことが、わかっていない。本当は、分かるとか、分からんという問題じゃない。生きるか、死ぬか、二つしか、ありやせぬ。おまけに死ぬ方は、ただなくなるだけで、何にもないだけのことじゃないか。生きてみせ、やりぬいてみせ、戦いぬいてみなければならぬ。いつでも、死ねる。そんな、つまらぬことはやるな。いつでも出来るんことなんか、やるもんじゃないよ。

・生と死を論ずる宗教だの哲学などに、正義も、真理もありはせぬ。あれは、オモチャだ。

・精神などというものも、物質に換算できる限り、換算して精算した方が、各人に便利でもあり、清潔でもあるし、幸福でもあると考えている。

・絶望は、愚か者の結論である。

・俗なる人は俗に、小なる人は小に、俗なるまま小なるままの各々の悲願を、まっとうに生きる姿がなつかしい。

・他のためにいのちをすてる、戦争は凡人を駆って至極簡単に奇蹟を行わせた。

・他の発見のないところに真実の文化が有りうべき筈はない。自我の省察のないところに文化の有りうべき筈はない。

・大げさすぎたのだ。限度。学問とは、限度の発見にあるのだよ。

・大体に於いて、極点の華麗さには妙な悲しみが付きまとう。

・単なる写実は芸術とは為り難いものである。言葉には言葉の、音には音の、色には又色の、もっと純粋な領域があるはずである。

・中立だどというものは議会政治の邪魔者に過ぎない。

・伝統とは何か? 国民性とは何か? 日本人には必然の性格があって、どうしても和服を発明し、それを着なければならないような決定的な要因があるのだろうか。

・日本に必要なのは制度や政治の確立よりも先ず自我の確立だ。本当に愛したり欲したり悲しんだり憎しんだり、自分自身の偽らぬ本心を見つめ、魂の慟哭によく耳を傾けることが必要なだけだ。自我の確立のないところに、真実の同義や義務や責任の自覚は生まれない。

・能の舞台を見たいとは思わない。もう我々には直接連絡しないような表現や歌い方を、退屈しながら、せめて一粒の砂金を待って辛抱するのが耐えられぬからだ。

・悲しいかな、人間の実相はここにある。然り、実に悲しいかな、人間の実相はここにある。

・悲しみ、苦しみは人生の花だ。。

・美しいもの、楽しいことを愛するのは人間の自然であり、ゼイタクや豪奢を愛し、成金は俗悪な大邸宅をつくって大いに成金趣味を発揮するが、それが万人の本性であって、毫も軽蔑すべきところはない。

・美しいものの真実の発芽は必死にまもり育てねばならぬ。私は戦争を最も呪う。だが、特攻隊を永遠に讃美する。

・美や芸術は、こんなところから、一番露骨な低いものから、地道に向上して、生れてくるものなのである。一応の手間が、かかるものだ。

・文学者、もっと、ひどいのは、哲学者、笑わせるな。哲学。なにが、哲学だい。なんでもありゃあしないじゃないあか。思索ときやがる。

・魅力のない女は、これはもう、決定的に悪妻なのである。

・無論ボクは宗教にも文学にも人生にも救いなんか求めてはいない。

・問題は、伝統や貫禄ではなく、実質だ。

・要するに、生きることが全部だというより他ない。

・歴史というお手本などは生きるためにはオソマツなお手本にすぎないもので、自分の心にきいてみるのが何よりのお手本なのである。

・恋なしに、人生は成りたたぬ。所詮人生がバカげたものなのだから、恋愛がバカげていても、恋愛のひけめになるところもない。

・恋愛などは一時的なもので、何万人の女房を取り換えてみたって、絶対の恋人などというものがある筈のものではない。探してみたい人は探すがいいが、私にはそんな根気はない。

・恋愛は、言葉でもなければ、雰囲気でもない。ただ、すきだ、ということの一つなのだろう。

・恋愛は人間永遠の問題だ。人間ある限り、その人生の恐らく最も主要なるものが恋愛なのだろうと私は思う。

サイト
その他 ・新潟市寄居浜の護国神社境内に「ふるさとは語ることなし」の詩碑が建立された。(1957年:昭和32年)

・毎年2月17日は「安吾忌」が催されている。

・晩年に生まれた一人息子の坂口綱男は写真家である。また安吾はアンコウを共食いと言って好んで食べたという。

・坂口安吾の文学作品には、途中で放棄された未完の長編や失敗作も多く、小説家としての技量や芸術性・完璧性の観点からは器用な作家ではないという。

・坂口安吾の作風には独特で不思議な魅力がある。狂気じみた爆発的性格と風が吹き通っている「がらんどう」のような風格の稀有な作家だといわれている。