通称 |
〔通称〕
・西園寺 公望(さいおんじ きんもち)
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本名 |
〔本名〕
・西園寺 公望(さいおんじ きんもち)
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別名 |
〔位階・勲等・爵位〕
・従一位大勲位公爵
〔雅号〕
・陶庵
・不読
・竹軒
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称号 |
〔位階〕
・正三位
・従二位
・正二位
・従一位
〔勲章等〕
・勲三等旭日中綬章
・侯爵
・勲二等旭日重光章
・勲一等瑞宝章
・旭日大綬章
・金盃一組
・旭日桐花大綬章
・金杯一組
・韓国併合記念章
・金杯一組
・大礼記念章(大正)
・御紋付銀盃
・大勲位菊花大綬章
・公爵
・御紋付銀杯
・菊花章頸飾
・帝都復興記念章
・金杯一組
・御紋付銀杯御絹
・国葬
〔外国勲章佩用允許〕
(ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公国)
・二等白鷹勲章
(バチカン)
・ピウス9世勲章グラン・クローチェ
(オーストリア=ハンガリー帝国)
・1等鉄冠勲章(英語版)
(オランダ)
・オランダ獅子勲章
(ドイツ帝国)
・赤鷲第一等勲章
(ベルギー)
・レオポルド勲章
(オスマン帝国)
・一等メディジディー勲章
(イタリア王国)
・聖マウリッツィオ・ラザロ勲章グラン・クローチェ
(ロシア帝国)
・白鷲勲章
・聖アレクサンドル・ネフスキー勲章大綬章
(スペイン王国)
・カルロス3世勲章
(デンマーク王国)
・1等級ダンネブロ勲章
(イギリス帝国)
・聖マイケル・聖ジョージ勲章ナイト・グランド・クロス (GCMG)
(フランス共和国)
・レジオンドヌール勲章グランクロワ
(大清帝国)
・頭等第二御賜双竜宝星
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時代 |
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生誕 |
〔生誕〕嘉永2年10月22日(1849年12月6日)
〔生誕地〕山城国京都(現:京都府京都市)
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死没 |
〔死没〕昭和15年(1940年)11月24日
〔死没地〕静岡県庵原郡興津町(現:静岡市清水区)
〔墓所〕東京都世田谷区の西園寺家墓地
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国籍 |
日本国 |
言語 |
日本語 |
居住地 |
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学歴 |
〔学歴〕
・ソルボンヌ大学(パリ大学)留学
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職業 |
〔職業〕
・日本の公家
・政治家
・教育者
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分野 |
〔分野〕
・幕末
・明治維新
・国内政治
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所属 |
〔所属政党〕
・立憲政友会
〔政治担当歴〕
・第2代 新潟府知事
・貴族院議員
・第2次松方内閣
・第8-9代 外務大臣
・文部大臣兼任
・第2次伊藤内閣
・第7代 文部大臣
・第3次伊藤内閣
・第10代 文部大臣
・第4次伊藤内閣
・内閣総理大臣臨時兼任
・第1次西園寺内閣
・第12代 内閣総理大臣
・第2次西園寺内閣
・第14代 内閣総理大臣
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業績 |
・戊辰戦争において官軍の方面軍総督を務めた。
・伊藤博文の腹心となり、第2次伊藤内閣にて文部大臣として初入閣し外務大臣を兼任、第3次伊藤内閣でも文部大臣として入閣した。
・伊藤の立憲政友会の総裁に就任した。
・明治39年(1906年)内閣総理大臣に任じられ、第1次西園寺内閣、第2次西園寺内閣を組閣した。
・首相選定に参画するようになり、大正5年(1916年)に正式な元老となっ。
・大正13年(1924年)に松方正義の死去後は、「最後の元老」として大正天皇、昭和天皇を輔弼、実質的な首相選定者として政界に大きな影響を与えた。
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作品 |
〔著書〕
『陶庵随筆』
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受賞歴 |
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名言 |
〔西園寺公望の名言〕
・時流に逆らいもしなければ時流に従いもしない。
・どうも怪しいぞ、人には言えぬが、どうも日本の陸軍あたりが元凶じゃあるまいか。
・いろいろやってみたが、結局、人民の程度以上にはならなかった。
・いったいこの国をどこへもってゆくのや。
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サイト |
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その他 |
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