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〔坂上田村麻呂〕

 

 坂上田村麻呂は、天平宝字2年(758年)、坂上苅田麻呂の次男あるいは三男として出生した平安時代の武官である。中央では近衛府の武官を務め、793年の陸奥国の対蝦夷戦争で大伴弟麻呂を補佐する副将軍の一人として功績を上げた。

 801年には、征夷大将軍として総指揮をとり敵対する蝦夷を制した。その後、胆沢城や志波城を築いている。優れた武人として尊崇され、菅原道真が文であれば、坂上田村麻呂は武の代表的存在として崇められた。



偉人のプロフィール

〔坂上田村麻呂〕のプロフィール。

〔坂上田村麻呂〕

坂上田村麻呂の肖像・写真 
(出典:wikipedia)

プロフィール
通称

〔通称〕
・坂上 田村麻呂(さかのうえ の たむらまろ)

本名

〔本名〕
・坂上 田村麻呂(さかのうえ の たむらまろ)

別名

〔改名〕松尾丸(幼名)→田村麻呂

〔姓〕忌寸→大忌寸、大宿禰

〔別名〕
・坂上田村麿
・大将軍
・田村将軍
・坂将軍
・北天の化現
・毘沙門の化身

〔諡号〕
・常閑寺殿一品法観清議大居士

〔神号〕
・正一位田村大明神
・田村大神[2]
・坂上田村麻呂公
・坂上田村麿将軍

称号

〔官位〕
・越後守
・正三位
・大納言
・右近衛大将
・侍従
・兵部卿
・参議
・鎮守府将軍
・征夷大将軍
・贈従二位

時代

〔時代〕奈良時代~平安時代前期

生誕

〔生誕〕天平宝字2年(758年)
〔生誕地〕

死没

〔死没〕弘仁2年5月23日(811年6月17日)(享年54歳没)
〔死没地〕山城国の粟田の別宅
〔墓所〕山城国宇治郡七条咋田西里栗栖村
・京都府京都市山科区西野山岩ヶ谷町の西野山古墓
・島根県邑智郡邑南町日貫の宝光寺墓所

国籍 日本国
言語 日本語
居住地

学歴

職業

〔職業〕
・平安時代の公卿
・武官

分野

〔ジャンル〕
・公卿
・武官

所属

〔主君〕
・光仁天皇→
・桓武天皇→
・平城天皇→
・嵯峨天皇

〔氏族〕
・坂上氏

業績

〔業績〕
・坂上田村麻呂は、忠臣として名高く、軍事と造作を支えた一人であり、桓武天皇に重用され二度にわたり征夷大将軍を勤める。

・蝦夷征討に功績を残し、薬子の変では大納言へ昇進して政変を鎮圧するなどの活躍をした。

・死後、平安京の東に向かい、立ったままの姿で柩に納めて埋葬され、軍神として信仰の対象となる。現在に至るまで、武芸の神として親しまれ、多くの伝説、物語を生んだ。

・清水寺を建立した事で知られる。

作品

受賞歴

名言

〔坂上田村麻呂の名言〕

 坂上田村麻呂の名言は見つかりませんでした。

サイト

その他

・坂上田村麻呂は、平安時代を通じて優れた武人として尊崇され、後代に様々な伝説を生み、文の菅原道真と武の坂上田村麻呂は文武のシンボル的存在とされた。

・第一高等学校では生徒訓育を目的に、倫理講堂正面に文人の代表として道真の、武人の代表として田村麻呂の肖像画が掲げられていたという。