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〔佐藤栄作〕

 

 佐藤栄作は、日本の鉄道官僚・政治家である。第61~63代総理大臣・内閣官房長官・衆議院議員・郵政大臣・電気通信大臣・建設大臣・北海道開発庁長官・大蔵大臣・通商産業大臣・科学技術庁長官などを歴任した。

 ノーベル平和賞を受賞している。1967年12月11日の衆議院予算委員会の答弁において、非核三原則「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」を表明したことで知られる。



偉人のプロフィール

〔佐藤栄作〕のプロフィール。

〔佐藤栄作〕

佐藤栄作の肖像・写真 
(出典:wikipedia)

プロフィール
通称 佐藤 栄作(さとう えいさく)
本名 佐藤 榮作(さとう えいさく)
別名

〔異名〕
・政界の団十郎
・早耳の栄作

称号

〔栄典〕
・従一位
・大勲位菊花章頸飾
・銀杯一組(菊紋)

〔称号〕
・法学士(東京帝国大学)

時代

明治時代~昭和時代

生誕

〔生誕〕1901年(明治34年)3月27日
〔生誕地〕山口県熊毛郡田布施町

死没

〔死没〕1975年(昭和50年)6月3日
〔死没地〕東京都港区
〔墓所〕

国籍 日本国
言語 日本語
居住地

学歴

〔学歴〕
・旧制山口中学校
・旧制第五高等学校
・東京帝国大学法学部

・吉田学校の代表格

職業

〔運輸省官僚〕
・日本の鉄道官僚
〔政治家〕
・政治家

〔内閣〕
・第61-63代 内閣総理大臣

・第1次佐藤内閣
・第1次佐藤第1次改造内閣
・第1次佐藤第2次改造内閣
・第1次佐藤第3次改造内閣
・第2次佐藤内閣

・第2次佐藤第1次改造内閣
・第2次佐藤第2次改造内閣
・第3次佐藤内閣
・第3次佐藤改造内閣

〔在任期間〕
・1964年11月9日 - 1972年7月7日

分野

所属

〔前職〕
・運輸次官
・内閣官房長官(第4代)

〔所属政党〕
・民主自由党→自由党→無所属→自由民主党

〔政界〕
・衆議院議員(11期)
・郵政大臣(第3代)
・電気通信大臣(第3代)
・建設大臣(第7代)
・北海道開発庁長官(第4・21・22代)
・大蔵大臣(第64代)
・通商産業大臣(第22代)
・科学技術庁長官(第12・13代)
・内閣総理大臣(第61・62・63代)

業績

〔業績〕
・内閣総理大臣として、日韓基本条約批准した。

・内閣総理大臣として、非核三原則提唱した。

・内閣総理大臣として、沖縄返還をなし遂げた。

・非核三原則の提唱により、ノーベル平和賞を受賞した。しかし、死後になって、各持ち込み密約の存在が発覚した。

・7年8か月の連続在任記録を持ち、「人事の佐藤」と評された。

作品

〔著作〕
 『佐藤栄作日記』(倒れる前日までの日記)

受賞歴

〔主な受賞歴〕
・ノーベル平和賞を受賞(1974年)
(受賞理由:非核三原則の提唱)

名言

〔佐藤栄作の名言〕

・核兵器を作らず、持たず、持ち込まず。

・沖縄の返還なくして戦後は終わらない。

・沖縄が本土から分かれて20年、私たち国民は沖縄90万人の皆さんのことを片時たりとも忘れたことはありません。私は沖縄の祖国復帰が実現しない限り、わが国にとって戦争が終わっていないことをよく承知しております。

・日本は日米安保条約を堅持し、防衛力を強化する。憲法上、軍事協力はできないが、経済協力の面で極東の安全に寄与したい。

・「栄ちゃん」と呼ばれたい。

・内閣改造をするほど総理の権力は下がり、解散をするほど上がる。

・参議院を制する者は政界を制する。

・私は偏向的な新聞は大嫌いだ。テレビカメラはどこかね。国民と直接話をしたい。

・新聞記者は出ていけ。

・最後は自分で直接、国民に語りかけたい。

・政治家も初めから抽象画を描かない方がいい。

・人間は口は一つ、耳は二つだ。まず、人の話を聞け。人間関係をうまくやるコツだ。

サイト

その他

・アフリカのガンビア共和国からノーベル平和賞の受賞者として佐藤栄作を描いた記念切手が発行されたが、誤って「Bisaku Sato」と表記されていた。(1995年)

・岸信介・佐藤栄作兄弟の出身地・山口県田布施町の田布施町郷土館内に、岸信介・佐藤栄作兄弟宰相の遺品展示室が設置されている。

・佐藤の親台姿勢を物語る証として、台湾の國立故宮博物院には、佐藤夫妻が寄贈した唐三彩の「三彩天王増長天像」が展示され、「元日本國首相佐藤榮作氏及令夫人寄贈」と記されている。