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〔日本の偉人〕

〔い〕で始まる日本の偉人

伊能忠敬

(いのう ただたか)



 伊能忠敬は、江戸時代の商人・測量家である。寛政12年(1800年)~文化13年(1816年)の足かけ17年間、日本全国を測量し、当時の世界史上でも稀にみる精度で『大日本沿海輿地全図』を完成させた。

 これにより日本全国の正確な地図が完成したのである。


 伊能忠敬は1745年、現在の九十九里町で生誕し、17歳のとき、佐原の商家伊能家に婿養子として迎えられる。

 幼少時から、数学の才能を認められ、素晴らしい計算能力の持ち主であったが、囲碁などにも長けていたとされる。



 伊能家は、佐原での大きな商家として知られ、酒造業、運輸業、金融業を営んでいたが、忠敬の代になって大いに発展し、苗字帯刀を許されまでになった。

 忠敬は36歳で名主となり、39才では村方後見となって地域の発展にも貢献した。佐原の地は隣接する利根川によりしばしば洪水に見舞われることがあった。被災した地域の復興事業などに測量技術が重要であることから、若い時代から測量や暦学などに興味を抱くようになった。


 しかし、引退し隠居するまでの間は、実業である商家の仕事に明け暮れ、ある意味、本来の才能を発揮できなかった。50歳のおり、実業を引退する決意をし隠居するが、これを機に天文学のような学問を極めたいと念願する。

 そして、自分より19歳も年下の天文学者高橋至時に師事し天文学や暦学の学問を習得する。当時にはとてつもなく大きな謎であった「地球の大きさ」を知りたいという気持ちが沸き上がり、自らの資産を注ぎ込みながら、日本全国の測量を手掛けることとなる。

 55歳のとき、第一次測量を開始し蝦夷地までの測量を行う。その後も71歳になるまでのあいだ第九次測量までを行ない、「大日本沿海與地全図」の作成を開始する。

 彼は、1816年73歳、自宅で死去するが、彼の遺志をついだ弟子たちにより、1821年に「大日本沿海與地全図」が完成して、幕府に提出されている。その時代としては、世界でも類を見ない優れた地図であった。

 彼は若い時代には商家を大きく発展させ莫大な資産を手にした。その資産を投じて、日本全図を完成させる偉業を成し遂げたのだった。彼は、地図作成のために、4000万歩を歩いたとされ、その距離は実に地球を一周するほどであった。彼の大きな努力や貢献には敬意を表さずにはいられない。


偉人のプロフィール

〔伊能忠敬〕のプロフィール。

〔伊能忠敬〕

伊能忠敬の肖像 
(出典:wikipedia)

プロフィール
通称 伊能忠敬(いのうただたか)
本名 伊能忠敬
別名

受賞歴
時代 江戸時代
生誕

1745年(延享2年)1月・上総国山辺郡小関村神保貞恒の二男として誕生

死没 1818年(文政元年)亀島町の自宅で逝去。遺言より師・高橋至時の墓(浅草源空寺)近くに埋葬される。
国籍 日本
言語 日本語
居住地 日本・各地
学歴

職業 商人・測量家
分野

測量家・天文学者

所属

業績 1762年:17歳、佐原村の伊能家の娘ミチの婿養子。
1781年:36歳、佐原村本宿組の名主。
1783年:38歳、浅間山大爆発、利根川氾濫の対応に奔走、天明の大飢饉の始まり。
 津田氏より苗字帯刀を許される。
1784年:村方後見となる。
1795年:50歳 江戸に出て高橋至時の弟子となる。
1800年:55才 第一次測量・蝦夷までを実施
1803年:第4次測量実施、高橋至時「ラランデ歴書管見」を翻訳完成
1816年:71才、第9次測量終了、「大日本沿海與地全図」作成
1818年:亀島町(現八丁堀)自宅で死去
1821年:「大日本沿海與地全図」完成し幕府に提出
1828年:シーボルト事件発生

作品 「大日本沿海與地全図」制作。
名言

〔伊能忠敬の名言〕

伊能家の家訓を作る(1791年)

・第一:仮にも偽りをせず、孝弟忠信にして正直たるべし

・第二:身の上の人は勿論、身下の人にても教訓異見あらば急度相用堅 く守るべし

・第三:徳敬謙譲として言語進退を寛裕に諸事謙り敬み、少なしも人と  争論など成すべからず。

サイト
その他 伊能忠敬記念館 テ287-0003 千葉県香取市佐原イ1722番地1
電話;048-541-1118