プロフィール |
通称 |
板垣 退助(いたがき たいすけ) |
本名 |
板垣 退助(いたがき たいすけ) |
別名 |
〔改名〕猪之助→退助
〔諱〕正躬(まさみ)→正形(まさかた)
〔号〕無形(むけい)
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称号 |
〔称号〕
・従一位
・勲一等旭日桐花大綬章
・伯爵
栄典は従一位勲一等伯爵。明治維新の元勲。自由民権運動の主導者として知られ、「庶民派」の政治家として国民から圧倒的な支持を受けていた。薨去後も民主政治の草分けとして人気が高く、第二次世界大戦後は50銭政府紙幣、日本銀行券B100円券に肖像が用いられた。
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時代 |
明治時代~大正時代 |
生誕 |
〔生誕〕1837年5月21日(天保8年4月17日)
〔生誕地〕土佐国高知城下中島町(現:高知県高知市本町通2丁目)
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死没 |
〔死没〕1919年7月16日(82歳没)
〔死没地〕東京府東京市
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国籍 |
日本国 |
言語 |
日本語 |
居住地 |
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学歴 |
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職業 |
日本の武士(土佐藩士)・政治家
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分野 |
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所属 |
所属政党
(自由党→)
(愛国公党→)
(自由党→)
憲政党
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業績 |
・自由民権運動の主導者として知られ、「庶民派」の政治家として国民から圧倒的な支持を受けていた。
・薨去後も民主政治の草分けとして人気が高く、第二次世界大戦後は50銭政府紙幣、日本銀行券B100円券に肖像が用いられた。
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作品 |
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受賞歴 |
〔主な受賞歴〕
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名言 |
〔板垣退助の名言〕
・板垣死すとも自由は死せず。
・われ死すとも,自由は死せず。
(明治15年,刺客に斬りつけられて)。
・私の行動が国家の害と思ったら、もう一度刺してもかまわぬ。
・自由とは天地自然の普遍的な原理であり、人は自由によって生まれ、国はそれによって存立するものである。自由がなければ、人は人生を完遂することはできず、国は国家を維持することができないものである。
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サイト |
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その他 |
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