通称 |
今川 義元(いまがわ よしもと) |
本名 |
今川 義元(いまがわ よしもと) |
別名 |
〔改名〕芳菊丸(幼名)、 栴岳承芳(せんがくしょうほう、法号)→ 義元
〔別名〕通称:治部大輔、渾名:海道一の弓取り(初代)
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受賞歴 |
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時代 |
戦国時代 |
生誕 |
永正16年(1519年) |
死没 |
〔死没〕永禄3年5月19日(1560年6月12日)
桶狭間山で休息中に織田信長に急襲され、織田家家臣・毛利良勝に愛刀・左文字の太刀と首級を奪われた。いわゆる「桶狭間の戦い」である。享年42。
〔戒名〕
・天沢寺殿四品前礼部侍郎秀峰哲公大居士
・天澤寺秀峯哲公
〔墓所〕
・愛知県豊明市の桶狭間古戦場伝説地
・愛知県豊明市の高徳院
・静岡県静岡市葵区大岩町の臨済寺
・東京都杉並区の観泉寺
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国籍 |
日本国 |
言語 |
日本語 |
居住地 |
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学歴 |
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職業 |
戦国時代武将。
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分野 |
戦国時代の駿河国及び遠江国の守護大名・戦国大名。
今川氏第11代当主。
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所属 |
〔幕府〕室町幕府駿河守護
〔主君〕足利義晴 → 義輝
〔氏族〕今川氏
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業績 |
寄親・寄子制度を設けての合理的な軍事改革等の領国経営の他、外征面でも才覚を発揮し今川氏の戦国大名への転身を成功させた。
所領も駿河・遠江から、三河や尾張の一部にまで拡大させ、戦国時代における今川家の最盛期を築き上げる。
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作品 |
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名言 |
〔今川義元の名言〕
・汝既に成長しけれども、童心未だ失せず。
・寄親(よりおや)は今川家への奉公を第一に心がけ、与力(よりき)にもそう言葉かけよ。
・住職は弟子の持つ智恵や能力を検討せずに、勝手に寺を譲ってはならない。
・義元の矛先には魔物だろうと鬼だろうとかなうまい。
・昨日なし 明日またしらぬ人はただ 今日のうちこそ命なりけれ。
・夏山の 茂みふきわけ もる月は 風のひまこそ 曇りなりけれ。
(今川義元 辞世の句)
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サイト |
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その他 |
婚姻関係により、武田信玄や北条氏康とは義兄弟にあたる。「海道一の弓取り」の異名を持つ。
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