通称 |
泉 鏡花(いずみ きょうか) |
本名 |
泉 鏡太郎(きょうたろう) |
別名 |
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受賞歴 |
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時代 |
明治時代後期~昭和時代初期 |
生誕 |
〔生誕〕1873年11月4日
〔生誕地〕石川県金沢市下新町
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死没 |
〔死没〕1939年9月7日(65歳没)
〔死没地〕東京府東京市麹町区下六番町
〔墓地〕雑司ヶ谷霊園
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国籍 |
日本国 |
言語 |
日本語 |
居住地 |
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学歴 |
〔最終学歴〕北陸英和学校中退
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職業 |
〔職業〕小説家
〔活動期間〕1893年~1939年
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分野 |
〔ジャンル〕
・小説
・俳句
・戯曲
〔文学活動〕
・ロマン主義
・幻想文学
・観念小説
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所属 |
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業績 |
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作品 |
〔デビュー作〕
『冠弥左衛門』
〔代表作〕
『夜行巡査』
『外科室』
『照葉狂言』
『高野聖』
『婦系図』
『歌行燈』
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名言 |
〔泉鏡花の名言〕
・実に嬰児の目を見るときばかりは、人間はみな清く美しい星の化身とうなずかれる。
・すると、さも嬉しそうに莞爾(にっこり)してその時だけは初々しゅう年紀(とし)も七ツ八ツ若やぐばかり、処女(きむすめ)の羞(はじ)を含んで下を向いた。
・一寸々々(ちょいちょい)と櫛を入れて、「まあ、女がこんなお転婆をいたしまして、川へ落(おっ)こちたらどうしましょう。川下へ流れて出ましたら、村里の者が何といって見ましょうね。」「白桃の花だと思います。」と沸(ふ)と心付いて何の気もなしにいうと、顔が合うた。
・手をあげて黒髪をおさえながら脇の下を手拭でぐいと拭き、あとを両手で絞りながら立った姿、唯これ雪のようなのをかかる霊水で清めた、こういう女の汗は薄紅(うすくれない)になって流れよう。
・要するにお化けは私の感情の具現化だ。
・予は目撃せり。日本軍の中には赤十字の義務を完うして、敵より感謝状を送られたる国賊あり。しかれどもまた敵愾心のために清国(てきこく)の病婦を捉えて、犯し辱めたる愛国の車夫あり。
・自分の職務上病傷兵を救護するには、敵だの、味方だの、日本だの、清国だのといふ、左様な名称も区別もないです。唯病傷兵のあるばかりで、その他には何にもないです。
・私が言った唯一言(人のおもちゃになるな。)と言ったを、命がけで守っている。……可愛い娘に会ったのが一生の思い出だ。
・その時の二人が状(さま)、あたかも二人の身辺には、天なく、地なく、社会なく、全く人なきがごとくなりし。
・完全なる愛は『無我』のまたの名なり。
・凡(およそ)世の中に、我が児の事を饒舌(しゃべ)る奴を聞くほど、退屈なものはない。
・およそ世の中に、家のために、女の子を親勝手に縁付けるほど惨(むご)たらしい事はない。
・一草一木の裡、或は鬼神力宿り、或は観音力宿る。
・人間よくなるも悪くなるも一寸の間だ。
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サイト |
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その他 |
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