| 通称 | 伊藤 博文(いとう ひろぶみ) | 
    
     | 本名 | 伊藤 博文(いとう ひろぶみ) | 
   
    | 別名 | 
・幼名は利助(りすけ)、後に吉田松陰から俊英の俊を与えられ、俊輔(しゅんすけ)とし、さらに春輔(しゅんすけ)と改名。・諱は博文(ひろぶみ)「ハクブン」と有職読みも。
 ・号は春畝(しゅんぽ)、春畝公と表記されることも。
 ・滄浪閣主人(そうろうかくしゅじん)を称して落款とも。
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    | 称号 | 〔称号〕 ・従一位
 ・大勲位菊花章頸飾
 ・公爵
 ・名誉博士(イェール大学)
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    | 時代 |  | 
   
    | 生誕 | 1841年10月16日(天保12年9月2日) 周防国周防国熊毛郡束荷村(現:山口県光市束荷)
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    | 死没 | 1909年10月26日(68歳没) 清国・ 黒龍江省ハルビン市
 1909年、ハルビン駅で朝鮮民族主義活動家の朝鮮人、安重根に暗殺された。
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    | 国籍 | 日本国 | 
   
    | 言語 | 日本語 | 
   
    | 居住地 |  | 
   
    | 学歴 | 〔出身校〕:松下村塾 | 
   
    | 職業 | 日本の武士(長州藩士)、政治家、初代内閣総理大臣。 | 
   
    | 分野 |  | 
   
    | 所属 | 〔所属政党〕:立憲政友会 | 
   
    | 業績 | 日清戦争の勝利に伴う日清講和条約の起草・調印により清国から朝鮮を独立させた(第一条)。朝鮮民族にとっては最大の恩人の筈である。 | 
   
    | 作品 |  | 
   
    | 名言 | 〔伊藤博文の名言〕 
・大いに屈する人を恐れよ、いかに剛にみゆるとも、言動に余裕と味のない人は大事をなすにたらぬ。
 ・お前に何でも俺の志を継げよと無理は言はぬ。持って生まれた天分ならば、たとえお前が乞食になったとて、俺は決して悲しまぬ。金持ちになったとて、喜びもせぬ。
 
 ・いやしくも天下に一事一物を成し遂げようとすれば、命懸けのことは始終ある。依頼心を起こしてはならぬ。自力でやれ。
 
 ・本当の愛国心とか勇気とかいうものは、肩をそびやかしたり、目を怒らしたりするようなものではない。
 
 ・国の安危存亡に関係する外交を軽々しく論じ去つて、何でも意の如く出来るが如くに思ふのは、多くは実験のない人の空論である。
 
 ・私の言うことが間違っていたら、それは間違いだと徹底的に追及せよ。君らの言うことがわからなければ、私も君らを徹底的に攻撃する。互いに攻撃し議論するのは、憲法を完全なものにするためである。くり返すが、長官だの秘書官だのという意識は一切かなぐり捨てて、討論・議論を究めて完全なる憲法をつくろうではないか。
 
 ・今日の学問はすべて皆、実学である。昔の学問は十中八九までは虚学である。
 
 ・たとえここ(英国)で学問をして業が成っても、自分の生国が亡びては何の為になるか。・われわれに歴史は無い。我々の歴史は、今ここからはじまる。
 
 
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