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〔日本の偉人〕

伊藤博文

 

 日本の武士・長州藩士・政治家で、長州藩の私塾、松下村塾に学び、幕末期の尊王攘夷・倒幕運動に参加した。

伊藤博文の写真 
(出典:wikipedia)

 明治維新後、岩倉使節団の副使・参議兼工部卿などを務め、大日本帝国憲法の起草に貢献した。

 初代以降、全四代にわたって内閣総理大臣を務めた。また、初代枢密院議長・初代貴族院議長・初代韓国統監を歴任した。1909年、ハルビンで朝鮮民族主義活動家の安重根によって暗殺された。69歳だった。



偉人のプロフィール

通称 伊藤 博文(いとう ひろぶみ)
本名 伊藤 博文(いとう ひろぶみ)
別名

・幼名は利助(りすけ)、後に吉田松陰から俊英の俊を与えられ、俊輔(しゅんすけ)とし、さらに春輔(しゅんすけ)と改名。
・諱は博文(ひろぶみ)「ハクブン」と有職読みも。
・号は春畝(しゅんぽ)、春畝公と表記されることも。
・滄浪閣主人(そうろうかくしゅじん)を称して落款とも。

称号 〔称号〕
 ・従一位
 ・大勲位菊花章頸飾
 ・公爵
 ・名誉博士(イェール大学)
時代
生誕 1841年10月16日(天保12年9月2日)
周防国周防国熊毛郡束荷村(現:山口県光市束荷)
死没 1909年10月26日(68歳没)
清国・ 黒龍江省ハルビン市
1909年、ハルビン駅で朝鮮民族主義活動家の朝鮮人、安重根に暗殺された。
国籍 日本国
言語 日本語
居住地
学歴 〔出身校〕:松下村塾
職業 日本の武士(長州藩士)、政治家、初代内閣総理大臣。
分野
所属 〔所属政党〕:立憲政友会
業績  日清戦争の勝利に伴う日清講和条約の起草・調印により清国から朝鮮を独立させた(第一条)。朝鮮民族にとっては最大の恩人の筈である。
作品
名言 〔@@@の名言〕

・大いに屈する人を恐れよ、いかに剛にみゆるとも、言動に余裕と味のない人は大事をなすにたらぬ。

・お前に何でも俺の志を継げよと無理は言はぬ。持って生まれた天分ならば、たとえお前が乞食になったとて、俺は決して悲しまぬ。金持ちになったとて、喜びもせぬ。

・いやしくも天下に一事一物を成し遂げようとすれば、命懸けのことは始終ある。依頼心を起こしてはならぬ。自力でやれ。

・本当の愛国心とか勇気とかいうものは、肩をそびやかしたり、目を怒らしたりするようなものではない。

・国の安危存亡に関係する外交を軽々しく論じ去つて、何でも意の如く出来るが如くに思ふのは、多くは実験のない人の空論である。

・私の言うことが間違っていたら、それは間違いだと徹底的に追及せよ。君らの言うことがわからなければ、私も君らを徹底的に攻撃する。互いに攻撃し議論するのは、憲法を完全なものにするためである。くり返すが、長官だの秘書官だのという意識は一切かなぐり捨てて、討論・議論を究めて完全なる憲法をつくろうではないか。

・今日の学問はすべて皆、実学である。昔の学問は十中八九までは虚学である。

・たとえここ(英国)で学問をして業が成っても、自分の生国が亡びては何の為になるか。・われわれに歴史は無い。我々の歴史は、今ここからはじまる。

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