通称 |
大久保 利通(おおくぼ としみち) |
本名 |
大久保 利通(おおくぼ としみち) |
別名 |
〔通称〕正助(しょうすけ)
〔幼名〕正袈裟(しょうけさ)
〔雅号〕甲東
〔諱〕利済と名乗るが、後に改名
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称号 |
〔称号〕
・贈従一位
・勲一等旭日大綬章
・従四位(辞退)
・従三位、永世賞典禄1,800石
・贈正二位右大臣
・継嗣利和が侯爵に叙爵
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時代 |
江戸幕府末期~明治時代初期 |
生誕 |
〔生誕〕文政13年8月10日(1830年9月26日)
〔生誕地〕薩摩国鹿児島城下高麗町(現:鹿児島県鹿児島市高麗町)
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死没 |
〔死没〕明治11年(1878年)5月14日)(満47歳没)
〔死没地〕東京府麹町区紀尾井町(現:東京都千代田区紀尾井町)
〔最期〕紀尾井坂の変にて暗殺される。
〔墓所〕東京都港区の青山霊園
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国籍 |
日本国 |
言語 |
日本語 |
居住地 |
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学歴 |
〔出身校〕造士館
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職業 |
・日本の武士(薩摩藩士)
・政治家
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分野 |
・内閣制度発足前の明治政界のリーダー。
・初代内務卿(実質上の首相)を務める。
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所属 |
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業績 |
・明治維新の元勲であり、西郷隆盛、木戸孝允と並んで「維新の三傑」と称される。
・「維新の十傑」の1人でもある。
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作品 |
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受賞歴 |
〔主な受賞歴〕
・勲一等旭日大綬章
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名言 |
〔大久保利通の名言〕
・彼は彼、我は我でいこうよ今日のままにして、瓦解せんよりは、むしろ大英断に出て、瓦解いたしたらんにしかず。
・この難を逃げ候こと本懐にあらず。
・国家創業の折には、難事は常に起こるものである。そこに自分ひとりでも国家を維持するほどの器がなければ、つらさや苦しみを耐え忍んで、志を成すことなど、できはしない。
堅忍不抜。
・目的を達成する為には、人間対人間のうじうじした関係に沈みこんでいたら、物事は進まない。そういうものを振り切って、前に進む。。
・おはんの死と共に、新しか日本がうまれる。強か日本が…。
・自分ほど西郷隆盛を知っている者はいない。
・為政清明。
・ようやく戦乱も収まって平和になった。よって維新の精神を貫徹することにするが、それには30年の時期が要る。それを仮に三分割すると、明治元年から10年までの第一期は、戦乱が多く創業の時期であった。明治11年から20年までの第二期は、内治を整え、民産を興す即ち建設の時期で、私はこの時まで内務の職に尽くしたい。明治21年から30年までの第三期は、後進の賢者に譲り、発展を待つ時期だ。。
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サイト |
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その他 |
・大久保利通を水神として祀る「大久保神社」が、福島県郡山市にある。地元の人々による「大久保様の水祭り」が毎年9月1日に執行されている。
・地元鹿児島に西南戦争百周年の機会に、銅像が建てられた。
・座右の銘は、「為政清明」と「堅忍不抜」だという
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