大塩平八郎は、江戸時代後期の儒学者、陽明学者で、大坂町奉行組与力である。大塩家は代々、大坂東町奉行組与力であり、平八郎は初代の大塩六兵衛成一から数えて8代目にあたる。 天保の大飢饉の時代、各地で百姓一揆が多発し大坂でも米不足が起こっていた。平八郎は奉行所に民衆の救援を提言したが拒絶され、仕方なく自らの蔵書を売却した資金で救済に努めた。 世情を顧みず米の買い占めなどする大坂町奉行や豪商に対して、もはや武装蜂起以外にないと考え、天保8年2月19日に蜂起すべく準備を進めた。しかし、密告により決起当日に鎮圧されてしまう。世にいう〔大塩平八郎の乱〕である。
◆〔大塩平八郎〕のプロフィール。
〔別名〕正高、後素 〔通称〕平八郎 〔諱〕正高、のち後素(こうそ) 〔字〕子起 〔号〕中斎 〔家紋〕揚羽
〔生誕〕寛政5年1月22日(1793年3月4日) 〔生誕地〕大坂天満
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