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〔日本の偉人〕

〔お〕で始まる日本の偉人

岡田紅陽

(おかだ こうよう)



 岡田紅陽は、新潟県出身、早稲田大学卒の日本の写真家である。1923年の関東大震災の被害状況を東京府の嘱託として撮影したことで有名である。

 1925年に写真スタジオを設立し、主に山岳写真、風景写真を撮影、富士山の撮影をライフワークとしていた。1952年には日本写真協会を創設している。主な写真集には『関東大震大火記念写真帖』『東京震災写真帖』『写真の知識』『岡田紅陽の富士百影作品集』『富士山』『富士』などがある。



偉人のプロフィール

〔岡田紅陽〕のプロフィール。

〔岡田紅陽〕

岡田紅陽の写真 
(出典:wikipedia)

プロフィール
通称 岡田 紅陽(おかだ こうよう)
本名 岡田 賢治郎(おかだ けんじろう)
別名

受賞歴
時代
生誕 〔生誕〕1895年8月31日
〔生誕地〕新潟県出身
死没 〔死没〕1972年11月22日
〔没地〕
〔戒名〕
〔墓所〕

国籍 日本国
言語 日本語
居住地
学歴 〔最終学歴〕早稲田大学
職業 日本の写真家
分野 ・主に山岳写真、風景写真を撮影、富士山の撮影をライフワークとした。
所属
業績 〔主な業績〕
・1923年の関東大震災の被害状況を東京府の嘱託として撮影

・1925年写真スタジオを設立

・1952年日本写真協会を創設
作品 〔代表作〕
・関東大震大火記念写真帖
・東京震災写真帖
・写真の知識
・国立公園十二勝
・岡田紅陽の富士百影作品集
・台湾国立公園写真集
・富士山
・富士
受賞歴
名言 〔岡田紅陽の名言〕

・富士こそがわがいのち。

・富士子に会いに行く。
 (岡田紅陽は、大好きな富士山を「富士子」と呼んでいたが、富士山の撮影に出かけるときにはこのように言っていた。)

・やっと空襲におびえることなく富士子に会える。
(戦争が終結した時、紅陽はこのように言ったという。)

・彼女は全く稀にみる妖麗な美人ではあるが、気まぐれな、しかも神経質な女性でもある。…全く私は手に負えないむずかしい恋人を持ったものである。

・そうだ。一生を棒に振ってもいい。早く悔いのない目的を探してそれに命を捨てるつもりで頑張ることが先決だ。
(早稲田在学中、大隈重信学長から「目的に向かったら命を捨ててかかれ」と鼓舞されて、岡田紅陽が決心して言った言葉)

・瞬間を逃さずにシャッター。距離と山の大きさ。光線の角度の予備知識。小型カメラでは山頂から4-5里がもっともよい。

・一生に一度でいいから会心の一枚を撮ってみたい。

サイト
その他 ・紅陽という名前は、愛する「夜明けの紅富士」から採ったとされている。

・五千円紙幣D号券の裏面にある逆さ富士は、岡田紅陽の作品「本栖湖の富士」「湖畔の春」を元に描かれた。

・現在の千円札の図柄も紅陽の撮影した写真が基礎となっている。

・郵便切手への採用も30作品を超えているという。