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〔日本の偉人〕

大久保利通

 

 大久保利通は、日本の武士で薩摩藩士・政治家。明治維新の元勲であり、西郷隆盛、木戸孝允と並んで〔維新の三傑〕と称される。

 維新十傑の1人でもある。文久2年、久光を擁立し京都の政局に関わり、公家の岩倉具視らとともに公武合体路線を指向し、やがて久光の側近となる。公武合体路線から武力倒幕路線を指向するようになる。

大久保利通の写真 
(出典:wikipedia)

 小松、西郷らとともに倒幕を計画したが、江戸幕府将軍・徳川慶喜が大政奉還を果たしたため、王政復古のクーデターを実行。明治時代になり、初代内務卿の実権を握ると、学制や地租改正、徴兵令などを実施し、富国強兵を唱え殖産興業政策を推進した。



偉人のプロフィール

プロフィール
通称 大久保 利通(おおくぼ としみち)
本名 大久保 利通(おおくぼ としみち)
別名

〔通称〕正助(しょうすけ)
〔幼名〕正袈裟(しょうけさ)
〔雅号〕甲東
〔諱〕利済と名乗るが、後に改名

称号 〔称号〕
・贈従一位
・勲一等旭日大綬章
・従四位(辞退)
・従三位、永世賞典禄1,800石
・贈正二位右大臣
・継嗣利和が侯爵に叙爵
時代 江戸幕府末期~明治時代初期
生誕

〔生誕〕文政13年8月10日(1830年9月26日)
〔生誕地〕薩摩国鹿児島城下高麗町(現:鹿児島県鹿児島市高麗町)

死没 〔死没〕明治11年(1878年)5月14日)(満47歳没)
〔死没地〕東京府麹町区紀尾井町(現:東京都千代田区紀尾井町)
〔最期〕紀尾井坂の変にて暗殺される。
〔墓所〕東京都港区の青山霊園
国籍 日本国
言語 日本語
居住地
学歴 〔出身校〕造士館
職業 ・日本の武士(薩摩藩士) ・政治家
分野 ・内閣制度発足前の明治政界のリーダー。
・初代内務卿(実質上の首相)を務める。
所属
業績 ・明治維新の元勲であり、西郷隆盛、木戸孝允と並んで「維新の三傑」と称される。

・「維新の十傑」の1人でもある。
作品
受賞歴 〔主な受賞歴〕
・勲一等旭日大綬章
名言 〔@@@の名言〕

・彼は彼、我は我でいこうよ今日のままにして、瓦解せんよりは、むしろ大英断に出て、瓦解いたしたらんにしかず。

・この難を逃げ候こと本懐にあらず。

・国家創業の折には、難事は常に起こるものである。そこに自分ひとりでも国家を維持するほどの器がなければ、つらさや苦しみを耐え忍んで、志を成すことなど、できはしない。

堅忍不抜。

・目的を達成する為には、人間対人間のうじうじした関係に沈みこんでいたら、物事は進まない。そういうものを振り切って、前に進む。。

・おはんの死と共に、新しか日本がうまれる。強か日本が…。

・自分ほど西郷隆盛を知っている者はいない。

・為政清明。

・ようやく戦乱も収まって平和になった。よって維新の精神を貫徹することにするが、それには30年の時期が要る。それを仮に三分割すると、明治元年から10年までの第一期は、戦乱が多く創業の時期であった。明治11年から20年までの第二期は、内治を整え、民産を興す即ち建設の時期で、私はこの時まで内務の職に尽くしたい。明治21年から30年までの第三期は、後進の賢者に譲り、発展を待つ時期だ。。

サイト
その他 ・大久保利通を水神として祀る「大久保神社」が、福島県郡山市にある。地元の人々による「大久保様の水祭り」が毎年9月1日に執行されている。

・地元鹿児島に西南戦争百周年の機会に、銅像が建てられた。

・座右の銘は、「為政清明」と「堅忍不抜」だという


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