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〔日本の偉人〕

〔お〕で始まる日本の偉人

仰木彬

(おおぎ あきら)


あ行か行さ行た行な行
は行ま行や行ら行わ行

あいうえお

〔お〕で始まる日本の偉人

王貞治 岡潔
岡倉天心 岡田紅陽
岡本太郎 沖田総司
仰木彬 小津安二郎
小尾信彌 小野小町
小野妹子 小渕恵三
織田信長 太田清蔵
大塩平八郎 大久保利通
大隈重信 大石内蔵助
尾崎行雄 尾崎放哉
尾崎豊 尾崎紅葉
大隅良典

 仰木彬は、福岡県出身のプロ野球選手・プロ野球監督・野球解説者である。

 西鉄ライオンズ黄金時代に正二塁手として活躍した野球選手で、引退後は西鉄、近鉄、オリックスのコーチ・監督を歴任。阪神大震災後に『がんばろうKOBE』の合言葉のもと快進撃を果たした。

仰木彬の写真 
(出典:Yahoo ブログ)



偉人のプロフィール

プロフィール
通称 仰木 彬(おおぎ あきら)
本名 仰木 彬(おおぎ あきら)
別名

受賞歴
時代 昭和時代~平成時代初期
生誕

〔生誕〕1935年4月29日
〔生誕地〕福岡県中間市

死没 〔死没〕2005年12月15日(70歳没)
〔没地〕
〔戒名〕
〔墓所〕

国籍 日本国
言語 日本語
居住地
学歴 〔最終学歴〕福岡県立東筑高等学校
職業 〔職業〕
・プロ野球選手
・プロ野球監督
・野球解説者

分野 〔選手経歴〕
・投球・打席:右投右打 ・ポジション:二塁手 ・プロ入り:1954年 ・初出場:1954年3月27日 ・最終出場:1967年7月4日
所属 〔選手時代〕
・西鉄ライオンズ (1954 - 1967)

〔監督・コーチ歴〕
・西鉄ライオンズ (1968 - 1969)
・近鉄バファローズ (1970 - 1992)
・オリックス・ブルーウェーブ
・オリックス・バファローズ (1994 - 2001, 2005)
業績 ・昭和30年代の西鉄ライオンズ黄金時代に正二塁手として活躍。
・引退後は西鉄、近鉄、オリックスのコーチ・監督を歴任 ・阪神大震災後『がんばろうKOBE』を合言葉に快進撃。率いたチームを11年連続でAクラス入りさせた。
作品 〔著書〕
 『燃えて勝つ:9回裏の逆転人生』
 『勝つということ:対談・熱球交友録』
 『勝てるには理由がある。』
 『人を見つけ人を伸ばす:個性を発掘する人材活用』(二宮清純共著)
受賞歴 〔主な受賞歴〕
・ベストナイン:1回
・正力松太郎賞:1回
・野球殿堂入り:競技者表彰
・新語・流行語大賞 年間大賞
 (1995年「がんばろうKOBE」)
名言 〔@@@の名言〕

・大阪に帰ってこい。おまえの最後の花道は俺がつくってやる。
 (清原に対して)

・野茂に怒られるのが怖いから変えんかっただけや。
 (野茂英雄選手のトルネード投法に対して)

・10分間抗議してくるから、その10分間でブルペン(で投手を)を作れ。 ・イチローと誰にでも分かる名前にした方がいい。

・イチローを作ったのは俺だ。

・グラウンドで死ねたら本望や。

・チームプレーなんて考えなくていい。自分のために一生懸命プレーすればいい。結局それがチームのためになるんだから。

・よく食べられること、よく飲めること、よく眠れることというのは、ある意味では技術以上の素質です。

・仰木マジックとよく言われますが、そんなの本当はないんです。あえて言えば確率です。確率が勝敗を決めるのです。

・君たちは勝ち負けを一切気にしなくていい。勝ち負けは俺の責任だ。その代わり、試合に出たら自分のベストを尽くせ。俺は良い結果を出した選手は必ず使う。結果を出さない選手は使わない。

・山に登るルートはたくさんあるのだから、自分の成功体験を押し付けてはいけない。

・自分が一流になれなかったのは、若い時に遊びすぎたからだ。あとから気づいても遅いんだぞ。オレが悪い見本や。

・人生において大切なのは、引く時のタイミングであり、切る時のタイミング、そして攻める時は思いっきって、人目をかまわず攻めなければならないはず。

・先入観なしに白紙で選手を見るには、結果を出す場を作るしかない。

・相手の気持ちがわかれば、あとは簡単なのです。相手の嫌がることをやれば、すぐに諦めてくれるのですから。

・大阪に帰ってこい。おまえの最後の花道は俺がつくってやる。

・殿堂入りパーティをオレの〝生前葬〟にするんや。

・野球は勝ったり負けたり。

・優勝争いの中では、個人の記録以上に必要なものがある。個を捨てられるのは、優勝の時なんだよ。それを知るには、勝つしかないんだ。

サイト
その他 ・仰木彬の故郷中間市では、中間市営野球場で中間市内の4中学校と福岡県内からの招待中学校12校による『仰木彬記念野球大会』を開催している。

・中間市では仰木への顕彰事業の一環として、中間市営野球場の名称を『中間仰木彬記念球場』と変更した。

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