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〔日本の偉人〕

堀江謙一 (ほりえ けんいち)

 

 堀江謙一は、1938年、大阪市生まれの海洋冒険家(ソロセーラー・ヨットマン)である。コールサイン〔JR3JJE〕を持つアマチュア無線家でもある。1962年、小型ヨット「マーメイド号」により西宮~サンフランシスコ間の太平洋単独横断航海に成功したことで知られる。

 西宮出港時には、水20リッターと米40kg、缶詰200個を積んで出航したが、航海中は甲板に降った雨水を蓄えてしのいだという。



 その時代、ヨットでの出国は不法であり形としては密出国となった。

 国内では問題となり身柄を拘束され日本へ強制送還される可能性もあったが、当時のサンフランシスコ市長が「コロンブスもパスポートは省略した」という名言を残し、名誉市民として受け入れたことで、1ヶ月間の米国滞在を認めると報道された。堀江の行動は日本でも偉業として認められることになった。


偉人のプロフィール

〔堀江謙一〕のプロフィール。

〔堀江謙一〕

堀江謙一の肖像・写真 
(出典:ウイキペディア)
プロフィール
通称 〔通称〕
・堀江 謙一(ほりえ けんいち)

本名 〔本名〕
・堀江 謙一(ほりえ けんいち)

別名
受賞歴 〔栄典〕
・サンフランシスコ市 名誉市民
・学校法人大前学園が設置するサポート校の専修学校・西宮甲英高等学院校長(のちに名誉校長)就任

時代 〔時代〕
・昭和時代~平成時代

生誕 〔生誕〕1938年(昭和13年)9月8日
〔生誕地〕大阪市

死没
国籍 日本国
言語 日本語
居住地
学歴 〔学歴〕
・関西大学第一高等学校卒業

〔趣味〕
・アマチュア無線家(コールサインはJR3JJE)

職業 〔職業〕
・海洋冒険家(ソロセーラー・ヨットマン)

分野 〔ジャンル〕
・ヨット航海

所属
業績 〔業績〕
・1962年5月12日、当時23歳の堀江謙一は、小型ヨット「マーメイド号」(全長5.8m、全幅2m)に乗って、兵庫県西宮市のヨットハーバーを出発した。それから93日かけて、サンフランシスコのゴールデンゲートをくぐりアメリカに到着した。日本人初の太平洋単独横断に成功したのだ。

・その後も、友人たちと共に自転車でアメリカを一周する旅行をしたり、単独無寄港で世界一周航海、足漕ぎボートで、ハワイ~沖縄間を航海するなど数多くの海洋冒険を行った。

作品 〔著書〕
 『太平洋ひとりぼっち』
 『太陽をわが腕に:ぼくのヨット教室』
 『ヨット入門:Let's go sailing』
 『マーメイド三世:単独無寄港世界一周』
 『マーメイド号:栄光と挫折の全記録:写真ドキュメント』
 『世界一周ひとりぼっち』
 『妻との最後の冒険:地球一周縦回り航海記』
 『太陽で走った:ソーラーボート航海記』
 『太平洋ひとりぼっち・完結編』
 『海を歩いて渡りたい:ペダルを踏んで太平洋ひとりぼっち』
 『太陽に賭ける:「太平洋ひとりぼっち」ふたたび』

名言 〔堀江謙一の名言〕

・この海で、多くの海の先輩たちが散っていったのだ…

・この海で亡くなった3500名もの日本人将兵にも、家族がいて、母親がいた。どれほど家族にや母親に会いたくて、日本に帰りたかったことだろうか…

・この海で眠っている先輩の皆さん、ぼくはいま、皆さんに捧げる花束を持ち合わせていません。お許しください。しかし、もしこのヨットが無事にサンフランシスコのゴールデンゲートをくぐってゴールしたら、それを先輩方に捧げる“花”とします[1]。

・僕が78歳のいままで、世界中の海をヨットで航海できたのは、戦後70年以上、日本が平和だったからだ。日本が平和だったのは、“平和憲法”を堅持したからではなく、命をかけて日本を守ってくれた自衛隊がいたからだと思っている。

サイト
その他  姫路市の奥村ボートにて建造され、堀江が太平洋単独横断を成功させたマーメイド号は、現在はサンフランシスコの米国立海洋博物館で保存公開されている。