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〔本田宗一郎〕

 

 本田宗一郎は、日本の実業家・技術者・本田技研工業の創業者(HONDAの創設者)である。彼は、尋常高等小学校を卒業すると自動車修理工場〔アート商会〕へ丁稚奉公に入り、努力して自動車修理と運転技術とを学んだ。

 その後、〔アート商会〕から暖簾分けしてもらい、独立して〔アート商会浜松支店〕という会社を設立する。

 終戦直後に、妻が苦労して自転車で買い出しに行く姿を見て、自転車にエンジンをつけたら買い出しが楽になるだろうと考えたのが、オートバイの研究を始めるきっかけとなった。


 昭和21年、〔本田技術研究所〕という企業を設立し、旧陸軍無線機用の小型発電機を自転車用補助エンジンに転用して売り出したが、これが大ヒット商品となる。

 やがて、本格的にオートバイ生産に着手し、昭和24年には〔ドリームD型〕というオートバイを発表する。

 昭和30年には2輪車生産台数日本一達成してしまう。昭和37年になると、自動車産業にも進出、軽自動車から普通車へと進出して世界に知られる一流企業に成長させる。中でも、低公害の〔CVCCエンジン〕はその時代、画期的なエンジンとして、アメリカの排ガス規制法、マスキー法規制に世界ではじめて合格したのであった。




偉人のプロフィール

〔本田宗一郎〕のプロフィール。

〔本田宗一郎〕

本田宗一郎の肖像・写真 
(出典:ウイキペディア)
プロフィール
通称  本田宗一郎
本名  本田宗一郎
別名

称号

 ・正三位勲一等旭日大綬章
 ・米国自動車殿堂入り
 ・上智大学名誉工学博士
 ・ジェイムズ・ワット国際メダル
 ・ミシガン工科大学名誉工学博士
 ・天竜市名誉市民(→浜松市名誉市民)

時代

 昭和時代、平成時代

生誕

 1906年11月17日

死没

 1991年8月5日(満84歳没)

国籍 日本国
言語 日本語
出身地  日本国:静岡県磐田郡光明村
居住地

 日本国:東京都文京区

学歴

 二俣尋常高等小学校(現在の浜松市立二俣小学校)

職業

 実業家、技術者

分野

 オートバイ工業、自動車工業

所属

業績

 本田技研工業の創業者

処女作  原動機付自転車の開発販売

作品

〔オートバイ〕
 ・ホンダドリーム号

〔自動車〕
 ・ホンダシビック、ホンダアコード等

〔書籍〕
 『私の手が語る』(1982年)
 『やりたいことをやれ』(2005年)
 『俺の考え』(1996年)
 『得手に帆あげて』(2000年)
 『スピードに生きる』(2006年)
 『夢を力に』(2001年)

受賞歴

名言

〔本田宗一郎の名言〕



サイト

その他

〔両親〕父:本田儀平、母:本田みか
〔子供〕本田博俊(長男)、本田勝久(次男)