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〔日本の偉人〕

〔し〕で始まる日本の偉人

十返舎一九

(じっぺんしゃ いっく)



 十返舎一九は、駿河国府中出身の江戸時代後期の戯作者、浮世絵師である。有名な『東海道中膝栗毛』の作者として知られ、日本で最初に文筆のみで生計を立てた人物として知られる。

 江戸で武家奉公し、その後大坂に渡って大坂町奉行などで働くが浪人し、義太夫語りの家で世話になって浄瑠璃作家となる。30歳で江戸に戻り、今度は版元・蔦屋重三郎方で世話になって挿絵描きなどを手伝う。蔦屋に勧められて黄表紙などを出版する生活を20年以上続ける。

 そして、享和2年(1802年)に運命の作品『東海道中膝栗毛』が大ヒットを博し、一世を風靡する作家となった。その後も『膝栗毛』の続編を描き続けた。



偉人のプロフィール

〔十返舎一九〕のプロフィール。

〔十返舎一九〕

十返舎一九の肖像・写真 
(出典:wikipedia)

プロフィール
通称 〔通称〕
・十返舎一九

本名 〔本名〕
・重田貞一(しげた さだかつ)

別名 〔幼名〕市九。
〔通称〕近松与七・幾五郎。
〔号〕酔翁、十返舎など。

〔別名〕
・十遍舎一九
・十偏舎一九
・十偏斎一九
・重田一九斎
・駿河屋藤兵衛

称号
時代 〔時代〕
・江戸時代後期

生誕 〔生誕〕明和2年(1765年)
〔生誕地〕駿河国 府中(静岡県 静岡市 葵区)

死没 〔死没〕天保2年8月7日(1831年9月12日)(67歳没)
〔没地〕武蔵国 江戸(現東京都)
〔墓所〕東陽院(東京都中央区)
〔墓碑〕東京都中央区勝どき四丁目に移転した同院に残る。
〔院号〕『心月院一九日光信士』

国籍 日本国
言語 日本語
居住地 〔居住地〕
・駿河国府中
・江渡
・大坂

学歴
職業 〔職業〕
・江戸時代後期の戯作者、絵師。

・浄瑠璃作者。
・日本で最初の文筆生活者。

〔作品分野〕
・黄表紙・洒落本・人情本・読本・合巻・狂歌集

〔活動期間〕1789年 - 1822年

分野 〔ジャンル〕
・浮世絵師。文筆家。

所属 〔所属〕
・大坂町奉行・小田切直年に勤仕。
・志野流香道。
・通油町の版元・蔦屋重三郎方に寄食。

業績 〔業績〕
・『東海道中膝栗毛』の作者として知られる。

作品 〔草双紙・版本〕
◆黄表紙
『心学時計草』
『新鋳小判ぶくろ』
『奇妙頂礼胎錫杖』
『初登山手習方帖』
『怪談筆始』
『化物年中行状記』
『化物小遣帳』
『化物見越松』
『今昔狐夜噺』
『夜眼遠目笠之内』
『十偏舎戯作種本』
『尻?御要慎』
『当変卜十露盤占』
『両説娵入奇談』
『敵討住吉詣』
『鳩讃試礼者笑宴』
『稚衆忠臣蔵』
『木下陰狭間合戦』
『敵打巌流島』
『美男狸金箔』
『聞風耳学問』
『五三桐山後篇 跡着衣装』
『滑稽しっこなし』
『五三桐山三編 操染心雛形』
『串戯しっこなし 後編』
『嵐山花仇討』

◆読本
『怪物與論』
『深窓奇談』
『列国怪談聞書帖』
『浪花鳥梅』
『復讐奇談天橋立』
『風恋夜話 翁丸物語』
『孝子美談 白鷲塚』
『通俗巫山夢』
『遠の白浪』

◆滑稽本
『東海道中 膝栗毛』
『続膝栗毛』
『浮世道中 膝栗毛』
『道中膝栗毛』
『風流 田舎草紙』
『諸用附会案文』
『教訓角力取艸』
『滑稽 江の島土産』
『秋葉山鳳来寺 一九之紀行』

◆洒落本
『恵比良濃梅』
『商内神』
『吉原談語』
『倡客竅学問』
『倡売往来』

◆噺本
『落咄臍くり金』
『落咄 曲形瓢』
『江戸前噺鰻』
『落咄 春雨夜話』

◆合巻
『諏訪湖狐怪談』
『欲皮千枚帳』
『諏訪湖狐怪談』
『質流人の行末』
『妖怪一年草』
『串戯狂言一夜附』
『洪福水揚帳』
『方言修行 金草鞋』
『成程根殻一九作』

◆人情本
『清談峯初花』
『朧月夜』
『浮世清濁 水かがみ』

◆狂歌絵本
『夷曲東日記』

◆狂歌入紀行
『南総記行 旅眼石』

◆絵本
『吉原青楼年中行事』

◆文例集
『女用文色紙染』
『婦人手紙の文言』

◆絵入り草子本
『信州水澤観音利益雜食橋由來』

◆紀行
『一九牧山秋山紀行』

〔肉筆浮世絵〕
 「行列奴図」
 「吉備大臣図

〔錦絵〕
 「大童山文五郎」
 「三世瀬川菊之丞の月さよ」

受賞歴
名言 〔十返舎一九の名言〕

〔辞世の句〕
「此世をば どりやおいとまに せん香と ともにつひには 灰左様なら 」

サイト
その他 ・十返舎一九は、駿河国府中(現静岡市葵区)に町奉行の同心の子として生まれたた、葵区両替町一丁目には、生誕の地の碑が建っている。

・天保3年(1832年)、遺族・門弟らによって、長命寺に建てられた記念碑が、今も残る。

・静岡市葵区研屋町の医王山顕光院には重田一族の墓が建ち、一九の戒名が刻まれている。

・名香の「黄熱香」は十度焚いても香を保つことから「十返しの香」とも呼ばれるが、筆名の「十返舎」は、ここに因んでいるとされ、「十九」は、幼名の「市九」からとされる。当初は、十遍舎一九であったが、十偏舎一九、十偏斎一九、重田一九斎などと名乗り、享和ころから十返舎一九に定まった。