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〔川合玉堂〕

 

 川合玉堂は、日本の明治期から昭和期にかけて活躍した日本画家である。1873年(明治6年)、愛知県葉栗郡外割田村で筆墨紙商の長男として生まれる。

 12歳ころより絵の才能が優れ、幸野楳嶺門下で円山・四条派を学ぶ。23歳で上京し橋本雅邦に師事し、岡倉天心、横山大観らが創立した日本美術院に参加する。1900年頃から私塾「長流画塾」を主宰し、1907年には、第1回文部省美術展覧会(文展)審査員に任命されるなど、日本画壇の中心的存在の一人となる。

 1940年に文化勲章を受章した。河合玉堂の代表作には『二日月』『行く春』『悠紀主基屏風』『溪山四時図屏風』などがある。



偉人のプロフィール

〔川合玉堂〕のプロフィール。

〔川合玉堂〕

川合玉堂の肖像・写真 
(出典:wikipedia)

プロフィール
通称 川合 玉堂(かわい ぎょくどう)
本名 川合 芳三郎(かわい よしさぶろう)。
別名

受賞歴

時代

明治時代~昭和時代

生誕

〔生誕〕1873年(明治6年)11月24日
〔生誕地〕愛知県葉栗郡外割田村(現在の一宮市木曽川町)

死没

〔死没〕1957年(昭和32年)6月30日
〔死没地〕現在の青梅市
〔墓所〕多磨霊園

国籍 日本国
言語 日本語
居住地

学歴

職業

明治時代~昭和時代の日本画家。

分野

日本画

所属

〔学習派〕
・12歳で京都にてはじめ望月玉泉門下で学ぶ
・その後、幸野楳嶺門下で円山・四条派を学ぶ
・23歳のとき上京し橋本雅邦に師事する(1896年:明治29年)

業績

〔主な業績〕
・日本美術院(岡倉天心、雅邦、横山大観らが創立)に、1898年(明治31年)当初より参加。

・私塾「長流画塾」を主宰(1900年:明治33年頃から)

・第1回文部省美術展覧会(文展)審査員(1907年:明治40年)

・東京美術学校日本画科教授(1915年:大正4年)

・帝室技芸員に任じられ、日本画壇の中心的存在の一人となる。(1917年:大正6年)

・戦時中、現在の青梅市に疎開したが、その住居を「偶庵」、画室を「随軒」と称した。戦後もそのまま定住し、そこで死去した。

・玉堂のもとで長野草風、池田輝方、池田蕉園、松本姿水、山内多門ら多くの門人が育った。

作品

〔代表作〕
 『二日月』
 『行く春』
 『悠紀主基屏風』
 『溪山四時図屏風』
 『彩雨』

受賞歴

〔主な受賞歴〕
・朝日賞 (1940年)

・第3回内国勧業博覧会に入選
 「春渓群猿図」「秋渓群鹿図」

・フランス政府からレジオンドヌール勲章(1931年:昭和6年)
・ドイツ政府から赤十字第一等名誉章(1933年:昭和8年)
・文化勲章(1940年:昭和15年)
・贈勲一等旭日大綬章(没時叙勲)

名言

〔川合玉堂の名言〕

(川合玉堂の名言はみつかりませんでした。)

サイト

その他