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〔日本の偉人〕

〔か〕で始まる日本の偉人

葛飾北斎

(かつしか ほくさい)



 葛飾北斎は、江戸時代後期の浮世絵師であり、化政文化を代表する一人で、葛飾派の祖である。あらゆる森羅万象を描き、生涯に3万点を超える作品を残している。版画だけでなく肉筆浮世絵でも傑作を残している。

 代表作のひとつである『北斎漫画』を始めとする絵本を多数発表し、驚異的描写力を見せつけている。また、毛筆による形態描出など絵画技術の普及に大きく貢献した。浮世絵の世界で北斎の存在は空前絶後の巨峰であった。



 北斎の作品は、ゴッホなどの印象派画壇の芸術家や工芸家、音楽家にも驚きと影響を与えている。代表作には『富嶽三十六景』や『北斎漫画』などがあり、世界的にも有名である。


偉人のプロフィール

〔葛飾北斎〕のプロフィール。

〔葛飾北斎〕

葛飾北斎の肖像・写真 
(出典:wikipedia)

葛飾北斎82歳頃の自画像 
北斎82歳頃の自画像
(出典:wikipedia)
プロフィール
通称 葛飾 北斎(かつしか ほくさい)
本名 葛飾 北斎(かつしか ほくさい)
別名

〔雅号〕
・春朗・群馬亭・北斎・宗理・可候・辰斉・辰政・百琳・雷斗・載斗・不染居・錦袋舎・為一・画狂人・雷辰・画狂老人・天狗堂熱鉄・鏡裏庵梅・月痴老人・卍・芝和斉・三浦屋八右衛門・百姓八右衛門・土侍任三郎・魚仏・穿山甲

称号
時代

江戸時代末期

生誕

〔生誕〕宝暦10年9月23日(1760年10月31日)
〔生誕地〕下総国葛飾郡本所割下水

死没 〔死没〕嘉永2年4月18日(1849年5月10日)(88歳没)
〔死没地〕江戸
〔墓所〕

国籍 日本国
言語 日本語
居住地
学歴
職業 江戸時代後期の浮世絵師。
分野 化政文化を代表する一人。
所属
業績

〔著名な実績〕浮世絵
・葛飾北斎は、風景画や春画、奇想画にいたる多岐の浮世絵を描いた。晩年になると肉筆画を多く残している。

作品 〔代表作〕
 『富嶽三十六景』
 『北斎漫画』
 『蛸と海女』

 北斎の作品数は極めて多いが、その集計は到底できないほどであり、永田生慈著『葛飾北斎年譜』に付けられた「版木・版画作品目録」では、1385点である。

 しかし、実際には更に摺物と肉筆画が加わり、挿絵なども1図と数えれば3万点を越えるともいう。下記に代表作も含めて、北斎の作品名のいくつかを示します。

〔錦絵〕
 『佐武多良嘉寸見』
 『よつや十二そう』
 『鷽 垂桜』
 『風流無くてななくせ 遠眼鏡』
 『東海道五拾三次(狂歌入り東海道)』
 『おしをくりはとうつうせんのづ』
 『百物語 こはだ小平二』
 『風流おどけ百句ばばさまのこごと』
 『芥子(けし)』
 『群鶏』
 『市川鰕蔵の山賊実は文覚上人』
 『くだんうしがふち』
 『富嶽三十六景』
 『琉球八景』
 『諸国滝廻り』
 『千絵の海』
 『諸国名橋奇覧』
 『詩歌写真鏡』
 『百人一首うばがゑとき』

〔北斎漫画〕

・画学生の絵の教本として発表されたもので、全15編、図数が4000図もあったとされる。

〔百物語〕
・百物語を画題として妖怪を描いた化物絵。現存するものは下記の5図のみ。

 『お岩さん』
 『皿屋敷』
 『笑ひはんにや』
 『しうねん』
 『小はだ小平二』

〔冨嶽三十六景〕
・富士山を主題として描かれた大判錦絵による風景画揃物。主板の36図、好評により追加された10図の計46図。

・北斎の代表作であるが、「凱風快晴(通称:赤富士)」や「神奈川沖浪裏」が特に有名。

・「神奈川沖浪裏」は、ゴッホやその後の西欧の芸術家に多大な影響を与えとされている。

〔富嶽百景〕
・3巻からなる絵本。初編天保5年(1834年)刊行。二編は天保6年(1835年)。三編は刊行年不明。

・北斎、75歳のときが初版で、富士山を画題に102図を描いたスケッチ集。

受賞歴
名言 〔葛飾北斎の名言〕

・女性の描き方は応為には敵わない。

 (ちなみに北斎の娘『応為』は、北斎が『おーい』と呼んでいたことから名づけられたと言うが、北斎はこの応為に対し、こう言ったという。)

・掃除をする暇あるなら、絵を描きたい。

 (生涯に93回も引っ越しをした北斎、彼の心境を如実に表現しています。)

・枠にとらわれた絵を描きたくない。

・俺はもう誰からも学ぶことはない。俺の先生は自然だけだ。

・この世には、自分にしか歩けない道がある。その道を歩くのが人生だ。

・思えば七十歳以前に描いたものはみな、取るに足らないものだった。

〔辞世の句〕

・人魂で 行く気散(きさん)じや 夏野原
 (人魂になって夏の原っぱにでも気晴らしに出かけようか)

〔臨終に際して〕

 北斎は卒寿(90歳)にて臨終を迎えたが、その際の様子が残されている。

 翁 死に臨み大息し
(死を目前にした北斎翁は大きく息をして)

「天我をして十年の命を長らわしめば」
(天があと10年の間、命長らえることを私に許されたなら)

 といい 暫くして更に言いて曰く

「天我をして五年の命を保たしめば 真正の画工となるを得(う)べし」
(天があと5年の間、命保つことを私に許されたなら、必ずやまさに本物といえる画工になり得たであろう)

 と言吃りて死す。(出典:ウイキペディア)

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