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〔日本の偉人〕

〔か〕で始まる日本の偉人

勝海舟

(かつ かいしゅう)



 勝海舟は、江戸時代末期から明治時代初期の武士であり幕臣・政治家である。山岡鉄舟、高橋泥舟と共に「幕末の三舟」と呼ばれる。勝海舟は幼名を麟太郎と称し、しばしば勝麟太郎と呼ばれる。

 安政の改革で才能を発揮し長崎海軍伝習所に入所し、万延元年には咸臨丸で渡米した。帰国後に軍艦奉行並となり神戸海軍操練所を開設する。

 戊辰戦争時、幕府軍の軍事総裁を務め、早期停戦と江戸城無血開城を実現し明治時代を迎える。明治維新後は、参議、海軍卿、枢密顧問官を歴任した。



偉人のプロフィール

〔勝海舟〕のプロフィール。

〔勝海舟〕

勝海舟の肖像・写真 
(出典:wikipedia)

プロフィール
通称 勝 海舟(かつ かいしゅう)
本名 勝 安芳(かつ やすよし)
別名

〔改名〕麟太郎(通称・幼名)、義邦、安芳
〔別名〕海舟(号)

称号 〔位階〕勲等爵位は正二位勲一等伯爵
〔官位〕
・従五位下・安房守
・外務大丞
・兵部大丞
・海軍大輔
・従四位・参議兼海軍卿
・正四位・元老院議官
・伯爵
・従三位・枢密顧問官
・正三位
・従二位
・贈正二位
時代 江戸時代後期 - 明治時代
生誕

〔生誕〕文政6年1月30日(1823年3月12日)
〔生誕地〕

死没 〔死没〕明治32年(1899年1月19日)
〔没地〕
〔戒名〕大観院殿海舟日安大居士
〔墓所〕洗足池公園
国籍 日本国
言語 日本語
居住地
学歴
職業 江戸時代末期(幕末)から明治時代初期の武士(幕臣)、政治家。
分野 ・幕末期の革命の英雄
・山岡鉄舟、高橋泥舟と共に「幕末の三舟」と呼ばれる。
所属 〔幕府〕江戸幕府
・異国応接掛附蘭書翻訳御用
・海軍伝習重立取扱
・講武所砲術師範役
・天守番頭過人
・蕃書調所頭取助
・天守番頭格
・二の丸留守居格軍艦操練所頭取
・軍艦奉行並
・海軍伝習掛
・海軍奉行並
・陸軍総裁
・軍事取扱
〔主君〕徳川家慶→家定→家茂→慶喜
〔氏族〕勝氏
業績 ・1823年、勝海舟は江戸の武士の家に生まれ、剣術に優れ、蘭学にも強かった。長崎で最新の学問や航海術などを学んだ。

・1860年には蒸気船、咸臨丸でアメリカに渡り、当時の外国をその目で直接見てきた。

・帰国後、神戸に海軍の学校を設立する。

・討幕勢力との戦いが起こり、勝海舟は当時の将軍、徳川慶喜の命により、敵方、新政府側の西郷隆盛と和平交渉し、戦わずに江戸城を開城する事に成功する。これは「江戸城の無血開城」と呼ばれる。

・明治時代になると、勝海舟は、政治に参加するほか、黒船の来航で海防の必要性を痛感した経験から、日本海軍の発展に大きく寄与します。

・学問にも力を注ぎ、現在の東洋大学や専修大学の発展に力を入れた。

作品
受賞歴 〔勲章等〕
・伯爵
・大日本帝国憲法発布記念章
・旭日大綬章[46]
名言 〔勝海舟の名言〕

・二宮尊徳には一度会ったが、至って正直な人だったよ。全体あんな時勢には、あんな人物が沢山出来るものだ。時勢が人を作る例はおれはたしかにみたよ。(二宮尊徳に会ったときの印象)

・勝ちを望めば逆上し措置を誤り、進退を失う。防御に尽くせば退縮の気が生じ乗ぜられる。だから俺はいつも、先ず勝敗の念を度外に置き虚心坦懐事変に対応した。

・自分の価値は自分で決めることさ。つらくて貧乏でも自分で自分を殺すことだけはしちゃいけねぇよ。

・オレは、(幕府)瓦解の際、日本国のことを思って徳川三百年の歴史も振り返らなかった。

・どうも、大抵の物事は(外部からではなく)内より破れますよ。

・行政改革というものは、余程注意してやらないと弱い物いじめになるよ。肝心なのは、改革者自身が己を改革する事だ。

・やるだけのことはやって、後のことは心の中でそっと心配しておれば良いではないか。どうせなるようにしかならないよ。(日本の行く末等を心配している人たちに)

・いつ松を植えたか、杉を植えたか、目立たないように百年の大計を立てることが必要さ。

・文明、文明、というが、お前ら自分の子供に西欧の学問をやらせて、それでそいつらが、親の言うことを聞くかぇ?ほら、聞かないだろう。親父はがんこで困るなどと言ってるよ。

・敵は多ければ多いほど面白い。

・我が国と違い、アメリカで高い地位にある者はみなその地位相応に賢うございます。(訪米使節から帰還し、将軍家茂に拝謁した際、幕閣の老中からアメリカと日本の違いは何か、と問われての答弁)

・ドウダイ、鉱毒はドウダイ。山を掘ることは旧幕時代からやって居たが、手の先でチョイチョイ掘って居れば毒は流れやしまい。海へ小便したって海の水は小便になるまい。今日は文明だそうだ。元が間違っているんだ。(足尾銅山の公害が明白になってもなお採掘を止めない政府に対して)

・世の中に無神経ほど強いものはない。

・今までは人並みなりと思ひしに五尺に足りぬ四尺(子爵)なりとは。

・世間では(日清戦争を)百戦百勝などと喜んで居れど、支那では何とも感じはしないのだ。そこになると、あの国はなかなかに大きなところがある。支那人は、帝王が代らうが、敵国が来り国を取らうが、殆ど馬耳東風で、はあ帝王が代つたのか、はあ日本が来て、我国を取つたのか、などいつて平気でゐる。風の吹いた程も感ぜぬ。感ぜぬも道理だ。一つの帝室が亡んで、他の帝室が代らうが、誰が来て国を取らうが、一体の社会は、依然として旧態を損して居るのだからノー。国家の一興一亡は、象の身体(からだ)を蚊(か)か虻(あぶ)が刺すくらゐにしか感じないのだ。ともあれ、日本人もあまり戦争に勝つたなどと威張つて居ると、後で大変な目にあふヨ。剣や鉄砲の戦争には勝つても、経済上の戦争に負けると、国は仕方がなくなるヨ。そして、この経済上の戦争にかけては、日本人はとても支那人には及ばないだらうと思ふと、俺は密かに心配するヨ。

・日清戦争には、おれは大反対だつたよ。なぜかつて、兄弟喧嘩だもの犬も喰はないじゃないか。たとえ日本が勝つてもドーなる。支那はやはりスフインクスとして外国の奴らが分らぬに限る。支那の実力が分つたら最後、欧米からドシドシ押し掛けて来る。ツマリ欧米人が分からないうちに、日本は支那と組んで商業なり工業なり鉄道なりやるに限るよ。一体支那五億の民衆は日本にとつては最大の顧客サ。

(注:上記の名言は、ウイキぺディアからの引用です。)

サイト
その他 ・東京都大田区の洗足池のほとりに海舟の晩年の邸宅「千束軒(洗足軒)」があったが戦災で焼失した。