日野富子は、永享12年(1440年)山城(京都府)生まれの室町時代後期から戦国時代前期の女性であり、室町幕府8代将軍足利義政の正室である。
富子は、室町幕府足利将軍家と姻戚関係の日野家の出身で、16歳のとき義正の正室となる。何人かの子供を産むが、長い間、男子に恵まれることがなかった。そのため、義正は寛正5年(1464年)に仏門にいた実弟の義視を還俗させ、将軍後継者とする。
しかし、翌年に富子は義尚を出産、富子は溺愛する義尚の擁立を目論み、義尚の後見である山名宗全や実家である日野家が義視と対立した。当初は軍事衝突はなかったが、やがて衝突するようになる。世にいう応仁の乱である。これは10年ほど続き、戦国時代の前触れとなった。
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