| 通称 |
〔通称〕
・広瀬 武夫(ひろせ たけお)
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| 本名 |
〔本名〕
・広瀬 武夫(ひろせ たけお)
・廣瀨武夫(ひろせ たけお)(旧字体)
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| 別名 |
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| 称号 |
〔栄典〕
・従六位
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| 時代 |
〔時代〕
・江戸時代~明治時代
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| 生誕 |
〔生誕〕1868年7月16日(慶応4年5月27日)(満35歳没)
〔生誕地〕豊後国竹田
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| 死没 |
〔死没〕1904年(明治37年)3月27日
〔没地〕
〔戒名〕
〔墓所〕
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| 国籍 |
日本国 |
| 言語 |
日本語 |
| 居住地 |
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| 学歴 |
〔学歴〕
・飛騨高山の煥章(かんしょう)小学校
・攻玉社
・海軍兵学校
・講道館で柔道も学ぶ。
・ロシアへ留学。ロシア語などを学ぶ。
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| 職業 |
〔職業〕
・日本の海軍軍人
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| 分野 |
〔ジャンル〕
・海軍軍人
・軍神
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| 所属 |
〔所属組織〕
・大日本帝国海軍
〔軍歴〕
・1889年~1904年
〔最終階級〕
・海軍中佐
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| 業績 |
〔業績〕
・日露戦争でのエピソードで知られており、特に戦前は「軍神」として神格化された。
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| 作品 |
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| 受賞歴 |
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| 名言 |
〔広瀬武夫の名言〕
・
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| サイト |
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| その他 |
広瀬を祀る広瀬神社が出身地の大分県竹田市に、1935年(昭和10年)、当時の内閣総理大臣、岡田啓介らと地元の黒川健士ほか数百名の手により創建された。
現在、高山市の城山公園と竹田市の広瀬神社に銅像が存在する。当初は明治時代に建造されたが、戦時中に供出されており、現在のものは復元されたものである。
広瀬に関する歌が多数ある。最もよく知られているのは文部省唱歌『廣瀬中佐』で、1912年(明治45年)『尋常小学唱歌 第四学年用』にあった。(著作権失効済)
轟く砲音(つつおと)、飛来る弾丸(だんがん)。
荒波洗ふ デッキの上に、
闇を貫く 中佐の叫び。
「杉野は何処(いずこ)、杉野は居ずや」。
船内隈なく 尋ぬる三度(みたび)、
呼べど答へず、さがせど見へず、
船は次第に 波間に沈み、
敵弾いよいよあたりに繁し。
今はとボートに 移れる中佐、
飛来る弾丸(たま)に 忽ち失せて、
旅順港外 恨みぞ深き、
軍神廣瀬と その名残れど
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◆〔ひ〕で始まる軍歌|カラオケ愛唱館
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