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〔日本の偉人〕

広瀬武夫 (ひろせ たけお)

 

 広瀬武夫は、明治元年(1868年)豊後国竹田で出生した日本の海軍軍人である。日露戦争時に有名なエピソードがあり、戦前は軍神として神格化される存在であった。

 成人すると一時期は小学校教師を務めたが、明治18年(1885年)退職し、攻玉社を経て海軍兵学校入校する。卒業後、明治23年まで軍艦「比叡」に乗船し、少尉に任官される。

 明治27年(1894年)の日清戦争に従軍し翌年には大尉に昇進する。明治30年にはロシアへ留学して、旅順港などの軍事施設も見学、その後はロシア駐在武官となり、明治33年には少佐に昇進する。明治37年(1904年)からの日露戦争では旅順港閉塞作戦に参戦する。



 第2回の閉塞作戦時、閉塞船福井丸を指揮していたが、敵駆逐艦の魚雷を受け撤退しようとした。

 しかし、部下の杉野孫七上等兵曹がいないことに気づき、広瀬は杉野を助けようと船内を探索したが見つからず、救命ボートに移乗せんとした際、ロシア軍砲撃を受け戦死した。36歳の壮絶な死であった。


偉人のプロフィール

〔広瀬武夫〕のプロフィール。

〔広瀬武夫〕

広瀬武夫の肖像・写真 
(出典:ウイキペディア)
プロフィール
通称 〔通称〕
・広瀬 武夫(ひろせ たけお)

本名 〔本名〕
・広瀬 武夫(ひろせ たけお)
・廣瀨武夫(ひろせ たけお)(旧字体)

別名
称号 〔栄典〕
・従六位

時代 〔時代〕
・江戸時代~明治時代

生誕 〔生誕〕1868年7月16日(慶応4年5月27日)(満35歳没)
〔生誕地〕豊後国竹田

死没 〔死没〕1904年(明治37年)3月27日
〔没地〕
〔戒名〕
〔墓所〕

国籍 日本国
言語 日本語
居住地
学歴 〔学歴〕
・飛騨高山の煥章(かんしょう)小学校
・攻玉社
・海軍兵学校
・講道館で柔道も学ぶ。
・ロシアへ留学。ロシア語などを学ぶ。

職業 〔職業〕
・日本の海軍軍人

分野 〔ジャンル〕
・海軍軍人
・軍神

所属 〔所属組織〕
・大日本帝国海軍

〔軍歴〕
・1889年~1904年

〔最終階級〕
・海軍中佐

業績 〔業績〕
・日露戦争でのエピソードで知られており、特に戦前は「軍神」として神格化された。

作品
受賞歴
名言 〔広瀬武夫の名言〕



サイト
その他  広瀬を祀る広瀬神社が出身地の大分県竹田市に、1935年(昭和10年)、当時の内閣総理大臣、岡田啓介らと地元の黒川健士ほか数百名の手により創建された。

 現在、高山市の城山公園と竹田市の広瀬神社に銅像が存在する。当初は明治時代に建造されたが、戦時中に供出されており、現在のものは復元されたものである。

 広瀬に関する歌が多数ある。最もよく知られているのは文部省唱歌『廣瀬中佐』で、1912年(明治45年)『尋常小学唱歌 第四学年用』にあった。(著作権失効済)

 轟く砲音(つつおと)、飛来る弾丸(だんがん)。
 荒波洗ふ デッキの上に、
 闇を貫く 中佐の叫び。
 「杉野は何処(いずこ)、杉野は居ずや」。
 船内隈なく 尋ぬる三度(みたび)、
 呼べど答へず、さがせど見へず、
 船は次第に 波間に沈み、
 敵弾いよいよあたりに繁し。
 今はとボートに 移れる中佐、
 飛来る弾丸(たま)に 忽ち失せて、
 旅順港外 恨みぞ深き、
 軍神廣瀬と その名残れど

 この歌は、ユーチューブで視聴することができますが、当サイトの姉妹サイトである〔カラオケ愛唱館〕で歌唱およびカラオケを無料で楽しむことが出来ますので、よろしければ下記サイトを訪問してください。

 ◆〔ひ〕で始まる軍歌|カラオケ愛唱館