通称 |
〔通称〕
・山本 五十六(やまもと いそろく)
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本名 |
〔本名〕
・山本 五十六(やまもと いそろく)
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別名 |
〔旧姓〕高野
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受賞歴 |
〔栄典〕
・勲一等瑞宝章
・勲一等旭日大綬章
・大勲位菊花大綬章
・功一級金鵄勲章
・国葬(葬儀執行:1943年6月5日)
・ドイツ鷲勲章大十字章
・剣付柏葉騎士鉄十字章
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時代 |
〔時代〕
・明治時代~昭和時代前期
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生誕 |
〔生誕〕1884年(明治17年)4月4日
〔生誕地〕新潟県長岡市
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死没 |
〔死没〕1943年(昭和18年)4月18日)(59歳没)
〔没地〕ソロモン諸島ブーゲンビル島上空
〔戒名〕大義院殿誠忠長陵大居士
〔墓所〕
・多磨霊園
・新潟県長岡市 長興寺
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国籍 |
日本国 |
言語 |
日本語 |
居住地 |
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学歴 |
〔学歴〕
・長岡町立阪之上尋常小学校
・旧制新潟県立長岡中学校卒業
・海軍兵学校32期
・海軍砲術学校普通科学生
・海軍水雷学校普通科学生
・海軍大学校乙種学生
・海軍大学校
・ハーバード大学留学
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職業 |
〔職業〕
・日本の海軍軍人
・第26、27代連合艦隊司令長官
・海軍兵学校32期生
・最終階級は元帥海軍大将
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分野 |
〔ジャンル〕
・大日本帝国軍人
・太平洋戦争
・ブーゲンビル島
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所属 |
〔所属〕
・(省略)
〔歴任〕
・(省略)
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業績 |
〔業績〕
山本五十六は、二度にわたるアメリカ駐在時に、自動車産業や航空機産業などを見聞きし、日米の圧倒的差を実感する。このため、日独伊三国軍事同盟や日米開戦に最後まで反対していたが、もしも戦うことになるなら航空機戦力こそが重要とし、海軍航空隊設立に尽力し準備・訓練もした。
山本は大日本帝国連合艦隊司令長官として、昭和16年12月8日、真珠湾攻撃を敢行した。真珠湾奇襲攻撃は大成功だったが、続くミッドウエー海戦で大敗すると、日本は徐々に各地の戦闘でも敗色が濃くなる。
山本は、前線将兵の労をねぎらうため、ラバウルからブーゲンビル島のブイン基地を経て、ショートランド島の近くにあるバラレ島基地に行く計画を立てた。戦艦武蔵から発信された電文がアメリカ海軍に傍受・解読され待ち伏せされる。そしてブーゲンビル島上空で撃墜され戦死した。
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作品 |
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名言 |
〔山本五十六の名言〕
・日本人は偉大な民族であり、前より立派に復興する。(関東大震災発生後、動揺する周囲に対し励ました言葉)
・劣勢比率を押しつけられた帝国海軍としては、優秀なる米国海軍と戦う時、先ず空襲を以て敵に痛烈なる一撃を加え、然る後全軍を挙げて一挙決戦に出ずべきである。(ロンドン軍縮会議で日本に不利となる軍縮条約が調印された際の発言)
・俺も軍人だからね。どうしてもアメリカとやれといわれれば、アメリカともやってごらんにいれたいね。……俺の夢なんだからね。空母10隻、航空機800機を準備する。それだけで真珠湾とマニラを空襲し、太平洋艦隊とアジア艦隊を潰すことは確実にできるんだよ。少なくとも一年間は、太平洋にアメリカの船と飛行機が存在しないってわけさ。それだけの戦争はやって見せる。()
・やって見せ 言って聞かせて させてみせ 褒めてやらねば 人は動かじ。
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サイト |
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その他 |
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