山田方谷は、幕末期の儒家で陽明学者である。陽明学と朱子学を学び、それぞれの利点と欠点を会得したとされる。
山田家は元は清和源氏ゆかりの武家なるも、彼の出生の時代には百姓として生計をたてていた。 5歳にして新見藩の儒学者、丸川松隠に学び20歳で士分に取立てられ、藩校の筆頭教授となる。 藩政に参加し、幕末期に滅亡寸前の藩を立て直した。方谷は「理財論」および「擬対策」を唱え藩政改革を成功させたのである。
◆〔山田方谷〕のプロフィール。
幕末・明治時代
1805年2月21日(文化2年2月21日)
1877年6月26日(明治10年6月26日)(満73歳没)
丸川松隠塾、佐藤一斎塾
藩家老格。儒家・陽明学者。
藩政改革者。教育家。
備中松山藩の藩政再建と産業振興。有終館学頭。閑谷学校再興。
『擬対策』 『理財論』
〔山田方谷の名言〕
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