藤原定家は、鎌倉時代初期の公家であり歌人である。権中納言定家を称し、『小倉百人一首』の撰者として知られている。 |
藤原定家は、鎌倉時代初期の公家であり歌人である。権中納言定家を称し、『小倉百人一首』の撰者として知られている。 |
後世のいろいろな時代における定家の評価は、千差万別であり、絶賛する声が多数あるほか、痛烈な批判を受けることも多々あったことも事実ですが、現在では、日本の歌道の宗匠として仰がれる評価が定着しています。 |
定家の誕生前から伝承されたできごととして、安倍晴明一族が非常に克明に星の観察をして発見した、天喜2年(1054年)のかに星雲での超新星爆発を記録しています。その他にも二つの超新星爆発の記録が書かれていて、世界でも唯一の天文学における貴重な資料となっています。 「来ぬ人を まつほの浦の夕凪に 焼くや藻塩の 身もこがれつつ」 |
◆〔藤原定家〕のプロフィール。 |
◆〔藤原の定家〕の残した名言。 |
新古今和歌集 |
定家自身が撰者として収載した『新古今和歌集』に、自身の作として次の一首があります。 「見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮」
定家の権威を恐れぬ言動は、彼を『新古今和歌集』の撰者に任命した後鳥羽上皇の逆鱗に触れることとなり、歌界から追放されてしまうというエピソードがあります。 |