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〔日本の偉人〕

徳富蘇峰 (とくとみ そほう)

 

 徳富蘇峰は、明治から昭和にかけての日本のジャーナリストであり思想家、歴史家、評論家である。『國民新聞』を主宰し、大著『近世日本国民史』を著したことで知られ、小説家徳冨蘆花の兄にあたる。

 徳富蘇峰は、明治9年に上京し、同志社創設者の新島襄により洗礼を受けクリスチャンになる。言論で身を立て、地上に「神の王国」を建設することを目指したという。


 その後も多くの紆余曲折を経て、思想家、言論人として活動するが、その思想の揺れは大きく、行動も変化に富み、活動範囲も多岐にわたった。

 蘇峰が大正6年に発表した『大正の青年と帝国の前途』の発行部数は約100万部にのぼるベストセラーになった。


あいうえお
かきくけこ
さしすせそ
たちつてと
なにぬねの
はひふへほ
まみむめも
やゆよ
らりるれろ
わをん
 
〔と〕で始まる日本の偉人

朝永振一郎 東郷青児
東郷平八郎 東條英機
徳川家康 徳川吉宗
徳川光圀 徳田秋声
徳富蘇峰 豊臣秀吉
豊田喜一郎 豊田佐吉
利根川進
 
〔徳富蘇峰:珠玉の名言〕
 

・図に乗ってナポレオンや今川義元や秀吉のようになってはいけない。引き際が大切なのである。

・維新以前に於いては尊皇攘夷たり、維新以降に於いては自由民権たり、而して今後に於いては国民的膨張たり。

 


偉人のプロフィール

〔徳富蘇峰〕のプロフィール。

〔徳富蘇峰〕

徳富蘇峰の肖像・写真 
(出典:ウイキペディア)
プロフィール
通称 〔通称〕
・徳富 猪一郎(とくとみ いいちろう)

本名 〔本名〕
・徳富 蘇峰(とくとみ そほう)

別名 〔号〕蘇峰
〔字〕正敬
〔筆名〕
・菅原 正敬
・大江 逸
・大江 逸郎

〔雅号〕
・山王草堂主人
・頑蘇老人
・蘇峰学人
・銑研
・桐庭
・氷川子
・青山仙客
・伊豆山人

称号 〔栄典〕
・恩賜賞
・勲三等瑞宝章
・勲二等瑞宝章
・文化勲章

時代 〔時代〕
・明治時代~昭和時代戦後期

生誕 〔生誕〕1863年3月14日(文久3年1月25日)
〔生誕地〕肥後国上益城郡杉堂村(現熊本県上益城郡益城町)

死没 〔死没〕1957年(昭和32年)11月2日(94歳没)
〔没地〕静岡県熱海市
〔戒名〕百敗院泡沫頑蘇居士
〔墓所〕多磨霊園

国籍 日本国
言語 日本語
居住地
学歴 〔最終学歴〕
・東京英語学校退学
・同志社英学校中退

職業 〔職業〕
・日本のジャーナリスト
・思想家
・歴史家
・評論家
・政治家(貴族院議員)

分野 〔文学活動〕
・時事評論
・伝記執筆
・歴史研究

〔活動期間〕
・1885年~1957年

所属 〔所属〕
・西京第二公会
・自由党系の民権結社相愛社

業績 〔業績〕
・『國民新聞』を主宰し、大著『近世日本国民史』を著したことで知られる。

・私塾「大江義塾」を創設

・『新日本之青年』を発表し、富国強兵、鹿鳴館、徴兵制、国会開設に沸きたっていた当時の日本に警鐘を鳴らした。

・言論団体「民友社」を設立し、月刊誌『国民之友』を主宰した。

・蘇峰は、森田思軒、朝比奈知泉らとともに「文学会」の発会を主唱した。毎月の会で、気鋭の文筆家たちが酒なしで夕食をし、食後に誰かが文学論を語り雑談するというもので坪内逍遥や森?外、幸田露伴などが参加した。

作品 〔代表作〕
 『第19世紀日本の青年及其教育』
 『新日本之青年』
 『大正の青年と帝国の前途』
 『将来之日本』
 『大日本膨脹論』
 『時務一家言』
 『勝利者の悲哀』
 『近世日本国民史』

〔その他の著作〕
・その他の著作は無数ともいえるほど多くあり、ここで掲載するには多すぎるので掲載は割愛する。

受賞歴 〔受賞歴〕
・恩賜賞
・文化勲章

名言 〔徳富蘇峰の名言〕

・当時予の最も熱心であったのは、第一、政治の改良。第二、社会の改良。第三、文芸の改良。第四、宗教の改良であった。(『蘇峰自伝』)

・この遼東還付(三国干渉)が、予のほとんど一生における運命を支配したといっても差支えあるまい。この事を聞いて以来、予は精神的にはほとんど別人となった。これと言うのも畢竟すれば、力が足らぬわけゆえである。力が足らなければ、いかなる正義公道も、半文の価値もないと確信するにいたった。

・図に乗ってナポレオンや今川義元や秀吉のようになってはいけない。引き際が大切なのである。

・国家の一大秩序は、実にわが明治天皇の御一身につながりしなり。国民が陛下の崩御とともに、この一大秩序を見失いたるは、まことに憐むべきの至りならずや。

・維新以前に於いては尊皇攘夷たり、維新以降に於いては自由民権たり、而して今後に於いては国民的膨張たり。

・所謂過去を以て現在を観る、現在を以て過去を観る。歴史は昨日の新聞であり、新聞は明日の歴史である。従つて新聞記者は歴史家たるべく、歴史家は新聞記者たるべしとするものである。

・ある意味に於いて、書簡はその人の自伝なり。特に第三者に披露する作為なくして、只だ有りのままに書きながしたる書簡は、其人の最も信憑すべき自伝なり。

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