通称 |
建春門院(けんしゅんもんいん) |
本名 |
平 滋子(たいら の しげこ) |
別名 |
〔候名〕小弁(こべん)
〔院号〕建春門院(けんしゅんもんいん)
|
受賞歴 |
|
時代 |
平清盛の時代
|
生誕 |
〔生誕〕康治元年(1142年)
〔生誕地〕
|
死没 |
〔死没〕安元2年7月8日(1176年8月14日)
〔没地〕
〔戒名〕
〔墓所〕
|
国籍 |
日本国 |
言語 |
日本語 |
出身地 |
|
居住地 |
|
学歴 |
|
職業 |
・後白河天皇の譲位後の妃。その美貌と聡明さが後白河院の目に留まり、寵愛を受けるようになる。
・高倉天皇の生母
・女御、皇太后、女院
|
分野 |
平氏
|
所属 |
〔父母〕
・桓武平氏高棟流、いわゆる堂上平氏の生まれ。
・父は兵部権大輔・平時信(贈左大臣)
・母は中納言・藤原顕頼の娘、祐子(すけこ)
〔子供〕
・高倉天皇
〔孫〕
・安徳天皇
・後鳥羽天皇
・範子内親王
・守貞親王
・功子内親王
・惟明親王
・潔子内親王
〔ひ孫〕
・昇子内親王
・邦子内親王
・利子内親王
・礼子内親王
・土御門天皇
・さらに表示
|
業績 |
|
作品 |
|
受賞歴 |
|
名言 |
〔建春門院の名言〕
『たまきはる』によれば、滋子は自戒の意を込めて折に触れて次のように語っていたという。
「女はただ心から、ともかくもなるべき物なり。親の思ひ掟て、人のもてなすにもよらじ。我心をつつしみて、身を思ひくたさねば、おのづから身に過ぐる幸ひもある物ぞ (女は心がけしだいでどうにでもなるもの。親や周囲のせいではない。自分の心をしっかりもって我が身を粗末にしなければ、自然と身に余る幸運もある)」(ウイキペディアより引用)
|
サイト |
|
その他 |
藤原定家の同母姉・健寿女が日記『たまきはる(建春門院中納言日記)』に、滋子はとても美人であったと書き記している。(以下、ウイキペディアより引用)
・健寿女が滋子の女房としなったのは12歳の頃で、滋子は皇太后になったばかりだった。
・『たまきはる』には次のようにと記されている。
「あなうつくし、世にはさはかかる人のおはしましけるか(なんと美しい、この世にはこのような人もいらしたのか)」
また、滋子の美貌は『建礼門院右京大夫集』でも、次のように絶賛されている。
「言ふ方なくめでたく、若くもおはします(言葉にできぬほど美しく、若々しい)」
|